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S先生は夢分析の夢を見るか

  • 月嶋 修平
  • 2021年1月13日
  • 読了時間: 6分

大学時代は精神分析学ゼミに所属していた。もっとも、僕の大学生活は八年か九年あったのでややこしい。そのなかでも、二年程度、と言うのが妥当だろう。

もともとは国際政治を学ぼうと大学に入ったはずなのに、気付けば「人間科学系」コースを選択し、精神分析の授業ばかりをとるようになっていた。近親に精神疾患者が居たこともあるが、正直に言えば「人間科学系」コースには仲の良い友達が居たし、精神分析の授業の多くはいわゆる「楽勝科目」だったのも大きな理由だろう。


当時、僕はだらだらと書物を眺め、フロイトやラカンが何を言っているのかをわかろうと努めた。ユングの箱庭療法がどうたら、シュルレアリスム、ナジャがどうの、ドゥルーズがうんたら——。

結局今でも何を言っているかはわからない。わからないことが嫌になって、社会学のゼミに転出したりもした。結局、大学は除籍になった。それでもなお、人間の精神、心に“ある程度”の興味を持ち続けられているのは、精神分析学の担当教官であったS先生のおかげでもあると、今になっては思う。


S先生は、つかみどころのない人だった。精神科医であり、一応偉い先生だった(らしい)。「夢分析」なるものの権威だった(らしい)。しかし、講義では、何を言っているかわからない。声が小さいわけではないが、知らない言葉を知らない言葉で説明していたように思う。生徒の多くは机の下でスマートフォンをいじり、S先生もそれに気を留めていない様子だった。単位認定は、教科書持ち込み可のテスト一発。僕もなぜか96点を叩きだし、それなりに罪悪感があったのを覚えている、「こんなに楽に単位が取れるなんて」、と。


だから、精神分析学「演習」に出ることにしたのも、下心からだった。面倒くさい「演習」の単位を、簡単にとれる。しかも時間割は四限。早起きもしなくていいし、夕方からのアルバイトや飲み会に差し支えることもない。そう思って、僕は小さな演習室にせっせと、否、「たまには」足を運んだのだった。


初回の授業、教室には十五人ほどの生徒がいた。二、三人は真面目そうな学徒がいたものの、他は完全に僕と同じ腹であった。チャラいテニスサークルの小僧、その連れの派手な女。ニヤニヤしているガリガリ、眼鏡の男、留年していることを笑って話すロン毛、アートに一家言ありそうな女、など。

S先生は柔らかな笑みを湛えて、教室に入って来た。多くの生徒はしゃべるのをやめなかったが、S先生は意にも介していない様子だった。S先生は大きな画用紙と鉛筆を全員に配って、淡々と言った。


「この紙に、木を描いてみて下さい」


思いのほか「おもしろそう」な導入に、みな面食らい、おしゃべりも自然と止んでいた。みな思い思いに黙々と木を描いた。S先生も席に座り、難しい顔をしながら絵を描いている。覗き見しようとしたが、手元の木は見えなかった。

「皆描き終わりましたか? それでは資料を配るので、各々分析してみて下さい」

なんでもこれは「バウムテスト」というもので、どのような木を描くかを分析して、その人の心的状況を読み取るものらしかった。僕は一通り自らの絵を分析した、強い自己顕示欲、攻撃性、母性への固着——。もう一度S先生の描いた木を見ようとしたが、紙は既に裏返されていた。


それからというもの、僕はS先生の演習が楽しみになった。二人一組になってロールシャッハテストをしてみたり、よくわからない臨床心理士用のビデオのようなものを見たり——。先生の訳の分からない話も、少しずつではあるが、分かる言葉が増えていった。僕は五限の授業が六時に終わってから、大抵図書館で新聞や『合コンの社会学』『いつまでもデブと思うなよ』みたいな新書を読んで飲み会までの時間を潰していたが、その新書は『夢判断』や『心理学と錬金術』などに取って代わられた。相変わらずフロイトやラカンが何を言っているのかはわからなかったが、ユングは取っつきやすかった。日本でユング心理学が普及した理由もわかった気がする。友人と居酒屋でバウムテストをやってみたりもした。無資格者が行うのは良くないらしいが、僕と友人はケラケラと笑い、ベロベロでお互いを分析し合った。過去のトラウマ、自信の欠如、対人関係の不安——。


そして授業も後半にさしかかったころ、ついに「夢分析」が始まった。

生徒の一人が宿題として、見た「夢」をテキストにして持ってくる。分量は自由で、大体A4一枚ぐらいにまとめてくる人が多かった。読んだ後、カウンセリングがあり、それをS先生が分析するものだった。


「数字の“四”は結婚を表すんですね」

「この“七”という数字は勃起を表しています」

「それはあなたの性欲が満たされていないことの表れです」


柔和な表情のままで無茶苦茶なことを言うS先生は、格好のネタになった。テニサーの小僧は「マジすっか? 結婚っすか?」などと言って笑い、S先生を煽った。派手な女は手を叩いて笑っていた。真面目そうな生徒たちも口元は緩んでいた。

アートに一家言ありそうな女は「私は性欲なんて溜まってないです!」と半泣きで怒った。その時は、流石に誰も笑えなかった。翌週からその女の子は来なくなった。みながみな、S先生のことなんて信じていなかった。


終盤にさしかかったころの授業、ある女生徒が持ってきた夢のテキストを読み、S先生は目をつぶり黙った。あまり内容は覚えていないが、三行か四行ほどの短いテキストだったように思う。

今までは夢のテキストを読んだあとに生徒との一問一答があって、それに基づいて夢分析を行う流れだった。静かな教室に、みなの動揺があった。テニサーの小僧なんかは「くるぞくるぞ」と言った顔でニヤニヤしている。あまりに奇異な状況に、教室全体に一体感すらあった。誰もが半笑いだったと思う。S先生は、数分、三分か四分ぐらいかだっただろうか、の後に目を開き、ボソッと言った。


「最近誰か、近親の方亡くなりましたか」

「……はい」


みなの笑顔はなくなり、静寂が教室を包んだ。換気扇の音がよく聞こえたのを覚えている。


凄い、もちろん凄いことなのだが、僕はそれ以上におぞましさを感じた。人の心は、難しいなんてもんじゃない。数行の夢のテキストから何かを読み取る力——。S先生はどれほど多くの人間の心に接してきたのだろう。もちろん臨床経験もある方だ。一方学部の飲み会なんかには顔は出さないし、正直他の先生方と仲良くしていたようにも見えない。生徒には馬鹿にされがちだったかもしれない。しかし、どれだけの心と、その心のおぞましい部分に触れてきたのだろう。深淵を見つめるとき、深淵もまたこちらを——。


「自分がされて嫌なことは、人にしないようにしよう」という警句がある。

小さいころよく聞いた言葉だが、僕は好きじゃない。いや、好きであってはならない。自分がされて嫌なことは、真に「されて嫌」かどうかなんてのもわからないし、それが相手にとって嫌かどうかもわかるわけがない。まず相手って誰だ? 過度な一般化だ。人の心なんてものは、体系的に語り、分析できるようなものではない。


「無意識」という概念が生まれてから百年が経つ。結局人の心はわからないし、この先どれだけ学ぼうともわかることはないのだろう。ただ、それに対する探求、そして行動を止めるわけにはいかない。本当に怖い、怖くておぞましいのだが、人の心に「土足で踏み込む」以外、手段は持ち合わせていないのだ。


 
 
 

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