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メーデー、就活戦線脱走兵より

  • 月嶋 修平
  • 2022年3月15日
  • 読了時間: 9分



自慢ではないが、こんなフーテンに見えてきっちりと新卒で就職活動をした経験もあるし、内定も複数もらったこともある。超大手であり、総合職、幹部候補生待遇である。無論当時は京大卒業見込み(結局中退したが)、それでハキハキとしゃべっていれば当然の結果である。能力をひけらかしたいわけでない。就活戦線にかつて身を置いていたものである、という意味での前置きだ。

かつて私はしゃかりき大学生として鳴らしていたし、インターン経験やいわゆる“ガクチカ”もばっちり、面接で嘘をつくのも大得意だった。学歴も申し分なしで、普通の人よりは就活に苦労しなかったとは思う。それでも、たくさんの会社に落ちた。ドールやハーゲンダッツにエントリーシートを出して、書類で落とされた。ドールでは、「エリートはパイナップル部門に配属される」という話を聞いて、楽しそうだと思ったのに。ハーゲンダッツ社に入って、世の疲れた社会人たちを蕩けさせるような新味を開発しようと思っていたのに。テレビ局に落とされ、広告代理店に落とされ、皮肉なことだが「内定のない京大生」と嘘を言って、テレビに出演したこともある。時効だと思うので言う。いわんやTVショーとはかくなるものだ。

もっとも、結局私は正社員として働いたことは一度もない。「萎え」てしまった。内定を得てから一年弱のあいだ、すべてのモチベーションがなくなってしまうのだ。「なんかちゃうなあ」。社員との面談、内定者同士の飲み会を重ねるたびに、「なんかちゃうなあ」が積もっていく。もちろん、その点に関しては罵ってもらってかまわない。社会不適合であり、努力と忍耐の不足だろう。それでもなんとか、生きている。


多様な生き方がある。多様な働き方がある。

口先でこうは言っても、見栄がある。そこそこのエリートとして歩んだ者ならなおさらだろう。4月1日(当時はこの時期に内定が出ていた)、お昼時の学部棟では傲慢自慢の雨嵐、「弊社をよろしく」「いやいや、こちらこそ」なんて馬鹿げた茶番を静観し、私は「なんかちゃうなあ」と思った。もっとも、私の友人のほとんどは「めんどくさいし、就活来年にしよ」と容易く留年を決め(他の大学は知らないが、京大は無料で休学できた)早々と飲みに行っていたが。私もそれについて行って、文字通り浴びるように酒を飲み、人事や会社の悪口を言いまくり、学生証を振りかざしてはナンパに励んだ。そして思った、「これが社員証に変わるだけなら、人生もしょうもないなあ」。


就職活動は今までの人生の集大成と位置付けられ、学力のみならず「人間力((笑))」の結果と思う人間も多いだろう。そのような側面があることも事実だ。これは否定できない。しかし、就職活動「ごとき」で憔悴してしまっていては、言葉を選ばなければ、「かわいそう」だと思う。就活中の学生は目に見えた弱者だ。みな弱者には優しく甘言を与えたり、調子に乗って小説教までかます。無論この文章は、後者の類になる。

就活解禁からはや二週間、疲弊した学生たちに、私は「脱走兵」として、言えることがあるだろうと思った。


まずは、簡単に「この勝負を降りろ」と言う大人は、よくない。「別に就職なんかしなくていいじゃん。ハッピーなバイブスでピース!」。これは私のようなタイプ(正社員でしっかり働いていない)に多いのだが、人間は基本的に自身を肯定したい生き物である。あなたが自己肯定の道具に使われている場合があることに留意すべきだ。たとえその人物が、本当に、心から「この勝負を降りろ」と思っていたとしても、生存者バイアスは考慮しなければならない。新卒カードを無碍に扱ったものは、そう簡単にアッパーミドルの生活には辿り着けない。決断力や忍耐力のなさゆえにフーテンをしていた人間も、その後大きな決断や長い忍耐を強いられることを理解すべきである。これは制度的社会に馴染めなかったインテリや、芸術系に多い。彼ら/彼女らは「やりたいことがある」ないしは「やりたいことがあると人に言える」。私なんかは、他にやることもないし、とぶつくさ言いながら文章を書いているが、そもそも本当に「やりたいことがある」人間なんてほとんどいない。「やりたいことがない」ことを恥じる必要はない。誰だって、寝転んでだらだらしたい——それすら嫌になるときがあるのが人間の難しいところだが——


逆に「この勝負で人生が決まる」と煽ってくる大人も、よくない。無視していい。確かに、アッパーミドルの生活を夢見るのならば、新卒のタイミングでミスるのは、正直厳しい。彼らはある意味では事実を言っている。新卒で入った会社の「箔」は、思った以上に後々についてまわる。それは転職においても、世間からの対応一つを採っても、である。そして彼らの場合も同じように、自らを肯定したいことを忘れてはならない。新卒カードをうまく使い、小綺麗で広い家に嫁/旦那に子ども、子どもにはできる限り最善の教育環境を、子どもがいなくとも親の介護やなんやらで金は莫大にかかる。独身であれば、いい感じのアバンチュールに金はつきものだ。趣味にだって金はかかるだろう。たまの高級外食、いい感じの家具、毎日毎日しんどいけど、この会社の給与水準なら安心だ。社会的に意義がある(と思える)仕事、社会への貢献、(たまにある)羨望の眼差し、これらは適当に就活をした人間には得られないものだ。

もちろん、モテるわけだ。合コンの口も腐るほどあるし、社名をチラつかせれば、ほとんど女の誰もが結婚相手として意識する。手強い女もいるだろうが、「おれだってしんどいんだよ」と弱みを演出すればイチコロである。これはあなたが男の場合である。女の場合はややこしいので割愛する、ごめん。


起業を勧める人間。これは評価がむずかしい。学生には胡散臭く見えるかもしれないが、私は起業自体には否定的ではなく、自らが裁量権を握って生活していくことには一種の美徳すら感じる。ちなみに私は起業したことはないが、複数のスタートアップを「見た」経験はある。しかし起業は簡単(あえてこう言う)だが、実際のところカネかコネかチエは必要だ。もちろん起業した人間の生存者バイアスは考慮すべきである。起業を勧める人間は、ある程度成功を収めた人間であり、その背後には何万、何十万の失敗した人間がいる。リスクがあるからって及び腰になるなよ、と言うわけではない。めんどくさいことが降りかかって来たときに、「私が選んだ道だから」と思えるかどうかの話だ。いわゆる「社会課題解決型」「金さえ儲かりゃなんでもいいか」の二種類の起業が存在する。前者を目論んでいるような人は、この文章を読まないと思うので割愛する。後者である場合、自らの精神力がそのようなタフさを兼ね備えているか吟味する必要があるだろう。それがあるなら、今すぐ起業してしまえばいい。なんでもいいじゃん、やっちゃえよ。しかし逸脱を恐れるのは、人間の性でもある。



では、誰の話を聞けばいいのか。


そんなこたあ、自分で考えろ。


つまりは、もう一度、就職についてよく考えて欲しい。それは、深刻に考えるということを意味しない。楽天的に、じっくりと考えるということだ。朝方、電車に乗れば死んだような目でサラリーマンやOLたちが揺られている。彼ら/彼女らは、一人残らず就職活動をして、働いているのだ。彼ら/彼女らに出来たのだから、君に出来ないわけがない。そして「死んだような目」は、批判的に用いた表現ではない。別にいいではないか、死んだような目をしていたって。彼ら/彼女らは家族のため、誰かのため、あるいは自分のために命と時間を切り売りして働いているのだ。その尊さがわからないのであれば、今すぐ貯金を全て仮想通貨やFXに放り込んでしまえばいい。それはそれなりのキリキリするようなリスクがあるのだが、金に貴賎なし、あなたが思う方法であなたなりにお金を稼げばいい。


多くの大人が偉そうに語る「社会」に、普遍性はない。彼らが語る「社会」は、結局「会社」だ。百歩譲っても「会社」と「そのまわりの会社」について、でしかない。採用担当は人を見るプロ? 馬鹿馬鹿しい。人を見るプロなんかおらんわ。もの言えぬ弱者である学生に、偉そうなことを言って悦に入っている、たわけものだ。いいかっこしいだ。それでも彼ら/彼女らも裏では鬼のような事務作業に身を投じて、文字通り命を削って金を稼いでいるわけだ。学生から見える「人事」はその会社の、あるいはその人間の、ほんの一側面でしかない。


とにかく、いっぱい受けろ。

私はそれ以外の助言を後輩にしたことはない。いっぱい受けろ、だるいけど。落とされるし、萎えるけど。落とされた日は友人とたらふく酒を飲め。吐くほど飲め。グループ面接で隣だった奴の悪口を言え。人事の悪口を言え。「〇〇社の製品は二度と買わん!」と豪語し、それを完遂せよ。みんしゅう(みんなの就活、就活情報サイト、今もあるのかは知らないが)にデマを流してしまえ、「一足先に裏ルートで内定しました、やっぱリクルーターコース乗ると有利ですね」と。荒れに荒れる、みんしゅうを見てほくそ笑もう。今ならツイッターなのかな? 捨て垢で無茶苦茶言え、バズれ。


「面接攻略」なんてよく言うが、結局は「あなたのことが好きそうな人」が四〜五回連続で面接官だったら合格するだけの話だ。当然、有能そうで明るくハキハキとした体育会の人間は、ウケやすい。みんな大好き、体育会系。ただ、そういう奴を敬遠する人間も確かにいるのだ。それでも落ち続けるならば「みんなが好きそうな」人間を演じるか、運に頼るかしかない。あなたが世の人間の20%に好かれ、80%に嫌われそうな人格であれば、合格率は1/5×5で、結構厳しい。80%に好かれる人格を演出できれば、4/5×5で、これはなかなか合格しそうだ。それが嫌なら、奇特なあなたを好いてくれる会社を見つけ出すまで受け続けろ。


そうして世に言う一流企業に内定した友達を見て、羨ましく思うことがあるだろう。あいつに比べたら、おれ/わたしなんて……。大丈夫、そいつも数年後には血の涙を流している。というより、みな平等に血の涙を流す。それを良しと思えるかは、その人次第である。憧れの会社、憧れの職種……と思っていても、結局部署の人間がきしょければ、しんどい。残業が多ければ萎える。人間関係がきつけりゃ鬱になる。就活という関門を努力で突破したとして、与えられる環境は選べない。そこで頑張るか、やめるかは、それこそ人それぞれだ。忘れがちだが、あなたはあなたの幸福のために生きているのだ。


みなが偉そうに語って馬鹿馬鹿しい。就職活動なんてそんなもんである。誰だって、働いて、社会と関わり合っている。缶を拾い集めるホームレスも、世界を飛び回る商社マンも、同じ地平に生きている。もちろん、金があるのは最強だ。金がないならないなりに、何かを世界に仕込んでいくのも、一つの方策である。無論、これは弱者の方策だ。


ちなみに、だが、最近、私はバイトに落ちた。フーテンもなかなか、生きづらい。

 
 
 

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