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ある男についての備忘録

  • 月嶋 修平
  • 2022年3月1日
  • 読了時間: 3分





京都はホームレスにとって住みづらい町だと思う。

夏場はいい。鴨川で水浴びをしていても何も言われない。川の近くは比較的涼しく過ごせるだろう。しかし冬は過酷だ。寒さをしのげるような場所はなく、JRや地下鉄の駅も「いけず」だから、入ってはいけないようになっている。積雪が少ないのは救いだが「ホームレスにとって文字通りの死活問題は、越冬だ」と、熱心に西成を支援していた大学の先輩が言っていたのを思い出す。彼女は、毎年大晦日から元日にかけて、西成へ炊き出しの手伝いへ行っていた。私も誘われていたが、ついぞ行くことはなかった。


木屋町付近には、そう多くのホームレスがいるわけではない。第一、人通りが多いし、雨風を凌ぐにも向いていない。そんななかでも、数人程度は、今まで見かけたことがある。

四条川端の交差点で、上裸になっては、垂れた乳の裏側を熱心にタオルで拭いている婆さん、この婆さんは、時折高級マンションの出入り口で座り込んで涼を取っていた。私はその姿に、心中拍手を送ったものであった。最近は見ない。これはもう数年前の話だ。


もう一人、これはここ数ヶ月の話だが、彼、が目にとまったのは、その大きな鞄に見覚えがあったからだった。大きなグレーと白のボーダーの袋、間違いなくそれは、私が百均で買ったランドリーバッグと同じものであった。そしてその袋には、『僕のヒーローアカデミア』の「緑谷出久」の缶バッジが二つ。その「デク」のバッジが、強烈に私の脳裏に焼きついた。「なぜデク?」「なぜ二つ?」


当初、彼は四条木屋町の喫煙所に座っていることが多かった。私は木屋町の喫茶店でのバイトに行く道すがら、何度も見かけたものだった。時には、河原町通り沿いの“Aesop” (おしゃれスキンケア、ヘアケア、石鹸、フレグランス店、大抵の場合客が行列をなしている)の前につっ立っていることもあった。私はそれを見て胸が弾んだものだった。いい場所に、立っている。客たち(若い女性がほとんどである)は、彼を極力視界にいれないように、話題にしないように、あるいは鼻で息をしないように努めていた。なんと愉快なさまであろうか。私はその日、かつてなく上機嫌でバイトを終えたのを覚えている。


彼はそのうち、私のバイト先の近くの空き地でも屯ろするようになった。コンクリートを敷き詰められただけの、文字通りの空き地である。その囲いの石段に、彼は座っていた。近所の、心の広い飲食店店主が、何度か宿として店を貸してあげていた、という話も聞いた。バイト中、出入り口から外を見やると彼の姿が見えることもあった。じっと何かに耐えるように——座っている。私は彼を見、タバコを口にし、心の中で頭を下げた。私のできないことを代わりにやってくれているのだ、彼はこの時代の革命家だ、と勝手に思っていたのだった。


そんな彼が、亡くなったと聞いた。

空き地には花が手向けられていた。最初はなにかタチの悪い冗談かと思っていたが、どうやらバイト先にも警察から調査の電話が来たらしい。だから、本当なのだろうと思う。

私は彼と話したことはない。名前も知らない。ただ数度見かけたことのある、「遠い命」だ。もちろん、私はその一報を聞いて咽び泣くでもないし、無策な行政に対して怒りをぶつけるわけではない。この一分一秒の間にも、いくつもの命は不当に奪われているのだろうし、その全てに落涙していては、こちらの身はもたない。

ただ、なんとなく、横柄で身勝手なエゴイズムそのものだとは思うのだが、彼のことを出来るだけ覚えていたいと思った。彼が、目に見えた、甚だしい弱者だったからかもしれない。安全地帯からの高みの見物なのかもしれない。死体を蹴るような、無配慮な行為なのかもしれない。それでも、記録しておくことを許して欲しい。誰に? 彼に。





 
 
 

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