メーデー、就活戦線脱走兵より
自慢ではないが、こんなフーテンに見えてきっちりと新卒で就職活動をした経験もあるし、内定も複数もらったこともある。超大手であり、総合職、幹部候補生待遇である。無論当時は京大卒業見込み(結局中退したが)、それでハキハキとしゃべっていれば当然の結果である。能力をひけらかしたいわけ...
自慢ではないが、こんなフーテンに見えてきっちりと新卒で就職活動をした経験もあるし、内定も複数もらったこともある。超大手であり、総合職、幹部候補生待遇である。無論当時は京大卒業見込み(結局中退したが)、それでハキハキとしゃべっていれば当然の結果である。能力をひけらかしたいわけでない。就活戦線にかつて身を置いていたものである、という意味での前置きだ。
かつて私はしゃかりき大学生として鳴らしていたし、インターン経験やいわゆる“ガクチカ”もばっちり、面接で嘘をつくのも大得意だった。学歴も申し分なしで、普通の人よりは就活に苦労しなかったとは思う。それでも、たくさんの会社に落ちた。ドールやハーゲンダッツにエントリーシートを出して、書類で落とされた。ドールでは、「エリートはパイナップル部門に配属される」という話を聞いて、楽しそうだと思ったのに。ハーゲンダッツ社に入って、世の疲れた社会人たちを蕩けさせるような新味を開発しようと思っていたのに。テレビ局に落とされ、広告代理店に落とされ、皮肉なことだが「内定のない京大生」と嘘を言って、テレビに出演したこともある。時効だと思うので言う。いわんやTVショーとはかくなるものだ。
もっとも、結局私は正社員として働いたことは一度もない。「萎え」てしまった。内定を得てから一年弱のあいだ、すべてのモチベーションがなくなってしまうのだ。「なんかちゃうなあ」。社員との面談、内定者同士の飲み会を重ねるたびに、「なんかちゃうなあ」が積もっていく。もちろん、その点に関しては罵ってもらってかまわない。社会不適合であり、努力と忍耐の不足だろう。それでもなんとか、生きている。
多様な生き方がある。多様な働き方がある。
口先でこうは言っても、見栄がある。そこそこのエリートとして歩んだ者ならなおさらだろう。4月1日(当時はこの時期に内定が出ていた)、お昼時の学部棟では傲慢自慢の雨嵐、「弊社をよろしく」「いやいや、こちらこそ」なんて馬鹿げた茶番を静観し、私は「なんかちゃうなあ」と思った。もっとも、私の友人のほとんどは「めんどくさいし、就活来年にしよ」と容易く留年を決め(他の大学は知らないが、京大は無料で休学できた)早々と飲みに行っていたが。私もそれについて行って、文字通り浴びるように酒を飲み、人事や会社の悪口を言いまくり、学生証を振りかざしてはナンパに励んだ。そして思った、「これが社員証に変わるだけなら、人生もしょうもないなあ」。
就職活動は今までの人生の集大成と位置付けられ、学力のみならず「人間力((笑))」の結果と思う人間も多いだろう。そのような側面があることも事実だ。これは否定できない。しかし、就職活動「ごとき」で憔悴してしまっていては、言葉を選ばなければ、「かわいそう」だと思う。就活中の学生は目に見えた弱者だ。みな弱者には優しく甘言を与えたり、調子に乗って小説教までかます。無論この文章は、後者の類になる。
就活解禁からはや二週間、疲弊した学生たちに、私は「脱走兵」として、言えることがあるだろうと思った。
まずは、簡単に「この勝負を降りろ」と言う大人は、よくない。「別に就職なんかしなくていいじゃん。ハッピーなバイブスでピース!」。これは私のようなタイプ(正社員でしっかり働いていない)に多いのだが、人間は基本的に自身を肯定したい生き物である。あなたが自己肯定の道具に使われている場合があることに留意すべきだ。たとえその人物が、本当に、心から「この勝負を降りろ」と思っていたとしても、生存者バイアスは考慮しなければならない。新卒カードを無碍に扱ったものは、そう簡単にアッパーミドルの生活には辿り着けない。決断力や忍耐力のなさゆえにフーテンをしていた人間も、その後大きな決断や長い忍耐を強いられることを理解すべきである。これは制度的社会に馴染めなかったインテリや、芸術系に多い。彼ら/彼女らは「やりたいことがある」ないしは「やりたいことがあると人に言える」。私なんかは、他にやることもないし、とぶつくさ言いながら文章を書いているが、そもそも本当に「やりたいことがある」人間なんてほとんどいない。「やりたいことがない」ことを恥じる必要はない。誰だって、寝転んでだらだらしたい——それすら嫌になるときがあるのが人間の難しいところだが——
逆に「この勝負で人生が決まる」と煽ってくる大人も、よくない。無視していい。確かに、アッパーミドルの生活を夢見るのならば、新卒のタイミングでミスるのは、正直厳しい。彼らはある意味では事実を言っている。新卒で入った会社の「箔」は、思った以上に後々についてまわる。それは転職においても、世間からの対応一つを採っても、である。そして彼らの場合も同じように、自らを肯定したいことを忘れてはならない。新卒カードをうまく使い、小綺麗で広い家に嫁/旦那に子ども、子どもにはできる限り最善の教育環境を、子どもがいなくとも親の介護やなんやらで金は莫大にかかる。独身であれば、いい感じのアバンチュールに金はつきものだ。趣味にだって金はかかるだろう。たまの高級外食、いい感じの家具、毎日毎日しんどいけど、この会社の給与水準なら安心だ。社会的に意義がある(と思える)仕事、社会への貢献、(たまにある)羨望の眼差し、これらは適当に就活をした人間には得られないものだ。
もちろん、モテるわけだ。合コンの口も腐るほどあるし、社名をチラつかせれば、ほとんど女の誰もが結婚相手として意識する。手強い女もいるだろうが、「おれだってしんどいんだよ」と弱みを演出すればイチコロである。これはあなたが男の場合である。女の場合はややこしいので割愛する、ごめん。
起業を勧める人間。これは評価がむずかしい。学生には胡散臭く見えるかもしれないが、私は起業自体には否定的ではなく、自らが裁量権を握って生活していくことには一種の美徳すら感じる。ちなみに私は起業したことはないが、複数のスタートアップを「見た」経験はある。しかし起業は簡単(あえてこう言う)だが、実際のところカネかコネかチエは必要だ。もちろん起業した人間の生存者バイアスは考慮すべきである。起業を勧める人間は、ある程度成功を収めた人間であり、その背後には何万、何十万の失敗した人間がいる。リスクがあるからって及び腰になるなよ、と言うわけではない。めんどくさいことが降りかかって来たときに、「私が選んだ道だから」と思えるかどうかの話だ。いわゆる「社会課題解決型」「金さえ儲かりゃなんでもいいか」の二種類の起業が存在する。前者を目論んでいるような人は、この文章を読まないと思うので割愛する。後者である場合、自らの精神力がそのようなタフさを兼ね備えているか吟味する必要があるだろう。それがあるなら、今すぐ起業してしまえばいい。なんでもいいじゃん、やっちゃえよ。しかし逸脱を恐れるのは、人間の性でもある。
では、誰の話を聞けばいいのか。
そんなこたあ、自分で考えろ。
つまりは、もう一度、就職についてよく考えて欲しい。それは、深刻に考えるということを意味しない。楽天的に、じっくりと考えるということだ。朝方、電車に乗れば死んだような目でサラリーマンやOLたちが揺られている。彼ら/彼女らは、一人残らず就職活動をして、働いているのだ。彼ら/彼女らに出来たのだから、君に出来ないわけがない。そして「死んだような目」は、批判的に用いた表現ではない。別にいいではないか、死んだような目をしていたって。彼ら/彼女らは家族のため、誰かのため、あるいは自分のために命と時間を切り売りして働いているのだ。その尊さがわからないのであれば、今すぐ貯金を全て仮想通貨やFXに放り込んでしまえばいい。それはそれなりのキリキリするようなリスクがあるのだが、金に貴賎なし、あなたが思う方法であなたなりにお金を稼げばいい。
多くの大人が偉そうに語る「社会」に、普遍性はない。彼らが語る「社会」は、結局「会社」だ。百歩譲っても「会社」と「そのまわりの会社」について、でしかない。採用担当は人を見るプロ? 馬鹿馬鹿しい。人を見るプロなんかおらんわ。もの言えぬ弱者である学生に、偉そうなことを言って悦に入っている、たわけものだ。いいかっこしいだ。それでも彼ら/彼女らも裏では鬼のような事務作業に身を投じて、文字通り命を削って金を稼いでいるわけだ。学生から見える「人事」はその会社の、あるいはその人間の、ほんの一側面でしかない。
とにかく、いっぱい受けろ。
私はそれ以外の助言を後輩にしたことはない。いっぱい受けろ、だるいけど。落とされるし、萎えるけど。落とされた日は友人とたらふく酒を飲め。吐くほど飲め。グループ面接で隣だった奴の悪口を言え。人事の悪口を言え。「〇〇社の製品は二度と買わん!」と豪語し、それを完遂せよ。みんしゅう(みんなの就活、就活情報サイト、今もあるのかは知らないが)にデマを流してしまえ、「一足先に裏ルートで内定しました、やっぱリクルーターコース乗ると有利ですね」と。荒れに荒れる、みんしゅうを見てほくそ笑もう。今ならツイッターなのかな? 捨て垢で無茶苦茶言え、バズれ。
「面接攻略」なんてよく言うが、結局は「あなたのことが好きそうな人」が四〜五回連続で面接官だったら合格するだけの話だ。当然、有能そうで明るくハキハキとした体育会の人間は、ウケやすい。みんな大好き、体育会系。ただ、そういう奴を敬遠する人間も確かにいるのだ。それでも落ち続けるならば「みんなが好きそうな」人間を演じるか、運に頼るかしかない。あなたが世の人間の20%に好かれ、80%に嫌われそうな人格であれば、合格率は1/5×5で、結構厳しい。80%に好かれる人格を演出できれば、4/5×5で、これはなかなか合格しそうだ。それが嫌なら、奇特なあなたを好いてくれる会社を見つけ出すまで受け続けろ。
そうして世に言う一流企業に内定した友達を見て、羨ましく思うことがあるだろう。あいつに比べたら、おれ/わたしなんて……。大丈夫、そいつも数年後には血の涙を流している。というより、みな平等に血の涙を流す。それを良しと思えるかは、その人次第である。憧れの会社、憧れの職種……と思っていても、結局部署の人間がきしょければ、しんどい。残業が多ければ萎える。人間関係がきつけりゃ鬱になる。就活という関門を努力で突破したとして、与えられる環境は選べない。そこで頑張るか、やめるかは、それこそ人それぞれだ。忘れがちだが、あなたはあなたの幸福のために生きているのだ。
みなが偉そうに語って馬鹿馬鹿しい。就職活動なんてそんなもんである。誰だって、働いて、社会と関わり合っている。缶を拾い集めるホームレスも、世界を飛び回る商社マンも、同じ地平に生きている。もちろん、金があるのは最強だ。金がないならないなりに、何かを世界に仕込んでいくのも、一つの方策である。無論、これは弱者の方策だ。
ちなみに、だが、最近、私はバイトに落ちた。フーテンもなかなか、生きづらい。
京都はホームレスにとって住みづらい町だと思う。
夏場はいい。鴨川で水浴びをしていても何も言われない。川の近くは比較的涼しく過ごせるだろう。しかし冬は過酷だ。寒さをしのげるような場所はなく、JRや地下鉄の駅も「いけず」だから、入ってはいけないようになっている。積雪が少ないのは救いだが「ホームレスにとって文字通りの死活問題は、越冬だ」と、熱心に西成を支援していた大学の先輩が言っていたのを思い出す。彼女は、毎年大晦日から元日にかけて、西成へ炊き出しの手伝いへ行っていた。私も誘われていたが、ついぞ行くことはなかった。
木屋町付近には、そう多くのホームレスがいるわけではない。第一、人通りが多いし、雨風を凌ぐにも向いていない。そんななかでも、数人程度は、今まで見かけたことがある。
四条川端の交差点で、上裸になっては、垂れた乳の裏側を熱心にタオルで拭いている婆さん、この婆さんは、時折高級マンションの出入り口で座り込んで涼を取っていた。私はその姿に、心中拍手を送ったものであった。最近は見ない。これはもう数年前の話だ。
もう一人、これはここ数ヶ月の話だが、彼、が目にとまったのは、その大きな鞄に見覚えがあったからだった。大きなグレーと白のボーダーの袋、間違いなくそれは、私が百均で買ったランドリーバッグと同じものであった。そしてその袋には、『僕のヒーローアカデミア』の「緑谷出久」の缶バッジが二つ。その「デク」のバッジが、強烈に私の脳裏に焼きついた。「なぜデク?」「なぜ二つ?」
当初、彼は四条木屋町の喫煙所に座っていることが多かった。私は木屋町の喫茶店でのバイトに行く道すがら、何度も見かけたものだった。時には、河原町通り沿いの“Aesop” (おしゃれスキンケア、ヘアケア、石鹸、フレグランス店、大抵の場合客が行列をなしている)の前につっ立っていることもあった。私はそれを見て胸が弾んだものだった。いい場所に、立っている。客たち(若い女性がほとんどである)は、彼を極力視界にいれないように、話題にしないように、あるいは鼻で息をしないように努めていた。なんと愉快なさまであろうか。私はその日、かつてなく上機嫌でバイトを終えたのを覚えている。
彼はそのうち、私のバイト先の近くの空き地でも屯ろするようになった。コンクリートを敷き詰められただけの、文字通りの空き地である。その囲いの石段に、彼は座っていた。近所の、心の広い飲食店店主が、何度か宿として店を貸してあげていた、という話も聞いた。バイト中、出入り口から外を見やると彼の姿が見えることもあった。じっと何かに耐えるように——座っている。私は彼を見、タバコを口にし、心の中で頭を下げた。私のできないことを代わりにやってくれているのだ、彼はこの時代の革命家だ、と勝手に思っていたのだった。
そんな彼が、亡くなったと聞いた。
空き地には花が手向けられていた。最初はなにかタチの悪い冗談かと思っていたが、どうやらバイト先にも警察から調査の電話が来たらしい。だから、本当なのだろうと思う。
私は彼と話したことはない。名前も知らない。ただ数度見かけたことのある、「遠い命」だ。もちろん、私はその一報を聞いて咽び泣くでもないし、無策な行政に対して怒りをぶつけるわけではない。この一分一秒の間にも、いくつもの命は不当に奪われているのだろうし、その全てに落涙していては、こちらの身はもたない。
ただ、なんとなく、横柄で身勝手なエゴイズムそのものだとは思うのだが、彼のことを出来るだけ覚えていたいと思った。彼が、目に見えた、甚だしい弱者だったからかもしれない。安全地帯からの高みの見物なのかもしれない。死体を蹴るような、無配慮な行為なのかもしれない。それでも、記録しておくことを許して欲しい。誰に? 彼に。
十年近く前の話だ。
大学の後輩、女に「みんなで一緒にストリップを観に行きませんか」と言われたとき、私は「YES」と反射的に返すことは出来なかった。
「あー」とか「うー」、「せやなぁ」とか言いながら考えた挙句、答えた。「その後の飲み会からやったら行くわ」。
断っておくが、もちろん女体やストリップに興味がないわけではない。
あのころの僕は二十代前半だった。興味本位ではあるが、就活の合間に新宿最古のストリップと言われる「窓女(マドンナ)」にも行ったことがある。ここは、本当に凄まじく安く、その他もろもろ語るべきこともあるのだが、それは今はいい。とにかく私は、今風に言えば、シスジェンダー・ヘテロセクシュアルである。
一方私は性風俗産業に対しての態度を決めかねており、いわゆる「本番行為」があるような風俗店に行ったことはない。デリバリーもしてもらったことはなければ箱ヘルにも行ったことがない。ホストクラブで働き、主にそのような女たちを相手にしていたのに、なんとも皮肉な話ではある。否、そういう女たちに金を払ってもらっていたからこそ、金を払って女を買うことに引け目を感じていたのだろう。
ただ、この時「YES」と言えなかったのは、性風俗に対する態度の問題というよりは、なにかしらを鑑賞する鑑賞者の態度、ないしは、そのストリッパーに対する態度の問題であるように思う。当時はあの感情をうまく言葉に出来なかったが、今であれば落ち着いて考えることができる。なにしろ長い年月が経った。
要は、ストリップ小屋というところには、「エロい!」という気持ちに、なりに行かねばならない。
仮定、もし私が女で、それも【プロフェッショナルストリッパー】であるならば、それはもう、男たちにはものすごくエロい気持ちになって欲しい。欲情に欲情を重ね、生を実感するほどに性を感じてほしい。女が観に来る分には、「客は客」と割り切るが、「本当に私のエロスを理解できるのか」と鼻で笑う。また、私が金欲しさに適当に舞う【アマチュアストリッパー】であったとしたら、無論やる気はないのだが、若い女になぞ見に来て欲しくない。
彼女らの踊りに、幾分の美しさ、芸術性と言えるものがあるのは認めよう。そしてその美は人類全体に開かれたものなのかもしれない。しかし女子大生がわらわらと来て、人類学だか社会学的見地だか知らないが、そんな勝手に無機質な研究対象にされる、あるいは単純に社会勉強の一端、ダークツーリズムぐらいに思われる——同性の、しかも輝かしい未来ある京大の女たちに裸を見られるなんて、私なら虫唾が走る。お前らのための裸でも、お前らのためのおっぱいでもまんこでもねえんだよ! 心の中で、或いは口に出してそう叫ぶ。
何にせよ実体験を通してのみ感じられることもある。知らない状態でいるよりは、知る方が良いに決まっている。フェミニズムでの文脈、社会における弱者として、とかく語られ議論になる彼女たち——様々な考え方があるのは承知であるが、私は一方的に「可哀想な人たち」と断じることは残酷だと思う。そもそも性風俗産業を許容すべきなのか、彼女たちは本意なのか、論点は各々あろうが、はなから彼女らを「別世界の人間」と見做し、観察するという姿勢には少なからず不快感を覚えたわけだ。アカデミックな見地、というのはいかにも権威的である。どれだけ細心の注意を払ってフィールドに出ようとも、そこでの「高みから見下ろすような」感、を拭い去るのは容易でない。
だから、私はその時誘いを断ったのだろう。そして飲み会から合流して、後輩たちの「初めてのストリップ観賞報告」を聞き流していた。本当に聞き流していたから、何を言っていたか覚えていない。
安全地帯、それも高台の安全地帯から眺めるという不均衡。人間個人のバイオリズムによっては、それが楽しいこともある。高台から何かを見下ろすのは気分がいい。一方で、罪の意識を感じることもある。「こんなことを思っていいのだろうか」「こんなことを思ってもいいのだろうか、と思ってもいいのだろうか」。
誰か、なにかを、平行に、可能な限り、メスシリンダーを読むときのように見るためには、こちらもそれ相応のリスクを払うべきだ。例えば、素晴らしいストリップショーを見るには、ものすごくムラムラして行かねばならない。或いは、それが不可能ならば、いっそ指をさし笑う覚悟を。
同様の話はもう一つある。
大学のとき、当時付き合っていた彼女が「裁判の傍聴に行こう」と言ってきた。私は気乗りせず、曖昧な返事を返していたが、いよいよ彼女の機嫌が悪くなっていったので、しぶしぶ諦めた。平日に、二人で自転車を数分転がして、京都地方裁判所にたどり着く。
裁判所の受付(?)で、その日やっている裁判の一覧を見せてもらう。借金、薬、借金、薬、借金、薬、薬——遺産相続。
私と彼女は、「これだ」と決めた。どうせなら、面白そうな方がいい。
傍聴席には、私と彼女の他に数人、年配の女性たち。手に汗握り椅子から乗り出している様を見る限り、当事者なのだろう。その裁判は、四人姉妹が、父の遺産を巡って争っていた。
年配の方々が、それも身内同士が、大金を巡って争い合う。亡くなった父は認知症であったらしく、裁判の進行も容易ではない。言った、言わない、言った、言わない。泥沼のような罵り合いに、私は「可哀想だ」と思った。熱心にメモをとったはずだったが、そのノートは今どこにあるかわからない。覚えているのは、私たちは後味悪く裁判所を後にし、彼女と居酒屋で海鮮を摘みながらビールと日本酒を飲んだこと。裁判所で吸う煙草が旨かったこと。
しかし後に、私自身の「可哀想だ」という発言は不穏当だと思った。彼女らは、紛れもなく身を削って戦っているのであり、それを高台から酒の肴のように見ているなんて、ローマ時代のコロッセオと同じだ。裁判の傍聴という行為を、全て否定するわけでない。我々に許された権利であり、「開かれた裁判」のためには必要だろう。しかし、戦っているのは生身の人間であり、誰もがそこに立つ可能性がある。
「向き合う」という表現が、私はきらいだ。なにせ人が何かに向き合うのは大変に難しい。上手く向き合えたところで、目線が平行であることなんて万に一つもありえない。「自分と向き合う」「相手と向き合う」、誰とも向き合ってこなかった人間の言葉だと断ずる。
刮目、凝視しようとも、彼ら彼女らと私とを分かつ柵が消えることはない。むしろ、安物のデジダルカメラのように、彼ら彼女らにピントを合わせようとすればするほど、その前面に在る柵に、何度も何度も焦点は合ってしまう。柵越しに彼ら彼女らの表情は、なかなかに読み取れない。
あたかも柵がないかのように感情移入したフリをするよりは、柵越しに手を叩いて笑っている方が、よっぽど人間らしい振る舞いなのではないかと思う。柵越しでも、手は合わせられる。それに嫌気が差すなら、柵を飛び越えていくしかない。
流行りの曲、安い重低音が流れる店内で、金麦の大ジョッキをゴクゴクと飲み、"よだれどり"と"ホルモンねぎ盛りポン酢"を特に顔色を変えることなくつまみながら、目の前の男はしみじみと云う。「おれ、今日〇〇に告白しようと思うねん」。おお、そうか、と私は答え、お互いに目線を合わせることなく、また金麦をゴクゴクと飲む。隣の席のくだらない話も、なぜか今なら聞き流せる。大きな戦の前には些末なことなどどうでもよくなるものだ。酒を飲みきり煙草を吸いきり、まるで世紀の大仕事をするかのように私と男は立ち上がる。ほな、いこか。実際のところ、私はそれほど応援しているわけでなくとも、男の背中はたくましく、頼もしく見える。
歳をとるごとに、こんな経験は少なくなってくる。飲む店が変わる。「告白」なんて言葉も聞かなくなる。一世一代、好意の告白は一種のギャンブルであった。もっともその"張り方"は人それぞれで、私なんかは入念に外堀を埋めて、確率を上げに上げてからベットする。もちろん、はなからそうであったわけではない。高校生以降に学んだ悲しき処世術である。 好きな子に告白してOKをもらえるか。それが少年期の男のもっとも重大な関心事であり、そのために生きる、といっても過言ではない。そして敗れ、学び、青年期には傷つかない距離感を探るようになる。複数の女を『ときめきメモリアル』ばりに上手くコントロールして、誰かの"爆弾"が爆発しないよう慎重に。リスクヘッジ、リスクヘッジ。セフレ、女、あいつ、呼称は様々あれど、すべて傷つきたくない面倒くさがりの戯れであろう。その紆余曲折ののち、あたかも「本当の愛を知りました」と言わんばかりの顔で、結婚する(否、本当に、本当の愛を知っているのかもしれない)。一人の配偶者を愛し、愛され、ときに自問自答し相手と喧嘩しながら、他の人に目移りしたりしなかったり、浮気したりしなかったり、そのまま一緒に生きたり、別れたりする。その後にどうなるかは、私は知らない。三十年程度生きたところで達観することなんか不可能で、今までもこれからも、女について右往左往し続ける。それが現状の私の諦めでもあり決意でもある。
しかし恐れずにいうと、私は今でも女が怖い。
『ガラスの靴』(1951)は、安岡章太郎の処女作にして、芥川賞の候補にもなった短編小説である。同名の文庫本はもちろん存在し、私は『バイトの達人』(1993)というアンソロジーに収録されているものを読んだ。(ちなみにこの『バイトの達人』は、すべての力なきフリーターにおすすめできる本だ。) 主人公の"僕"は猟銃店Nで夜の番のアルバイトをする大学生、仕事はのんびりと湿度計、温度計を眺めるだけ、「住居のない僕」はそういう風に「朝晩のメシと夜の居場所」を得ていた。時代の差もあろうが、何とも逞しく思える。 そんな僕は、ある日原宿にある米軍軍医クレイゴー中佐の家に、散弾を届けることになる。そこでメードとして住み込みで働く、青白い顔をした悦子と出会う。
その日、僕は意外にゆっくりしてしまった。帰りしなに彼女は、またあのテレたような笑いをうかべて、よかったらときどき遊びに来てくれと云った。僕は彼女の言葉にしたがった。その方が、かたい椅子しかない学校に行くより余程よかったから。
悦子と親しくなっていくにつれ、“僕“はある疑問を抱く。悦子は知らないことが多すぎるのである。
「あなた、ヒグラシの鳥って、見たことある?」 僕は驚いた。悦子は二十歳なのだ。問いかえすと、彼女は口もとにアイマイな笑いをうかべている。そこで僕は説明した。 「ヒグラシっていうのはね、鳥じゃないんだ。ムシだよ。セミの一種だよ。」 悦子は僕の言葉に仰天した。彼女は眼を大きくみひらいて、——悦子の眼は美しかった——「そうオ、あたし、これくらいの鳥かと思った。」と手で、およそ黒部西瓜ほどの大きさを示した。……僕は魔法にかかった。ロバみたいに大きな蝶や、犬のようなカマキリ、そんなイメージが一時にどっと僕の眼前におしよせた。僕はたまらなく愉快になり、大声をあげて笑った。すると彼女は泣き出した。 「あなたのおっしゃることって、嘘ばっかり。だってあたし見たんですもの……軽井沢で。」
そうやって涙を流す悦子を、“僕“は横から抱いてみる。そして髪の毛をかきあげ、耳タブに接吻する。あとから不安になったのは“僕“の方だ。下卑たことをした、彼女はどう思っているのだろう。 その晩遅く、悦子からN 猟銃店に電話がかかってくる。
「カエルがいっぱい飛んで来て、眠れないの。……あたしの顔に冷いものがさわるのよ。電気をつけてみたら、雨ガエルなの。何処からはいって来たのかしら、ベッドの上にいっぱいいるの、……小さな、小指のさきぐらいの雨ガエル。」 僕は、それは信ずべからざることだと思った。もし、カエルのことが本当だとしても、もう二時にちかいのである。もはやこれは、彼女のワザとやっていることにちがいなく、とすれば昼間の「ヒグラシ」もまた彼女のつくりごとではないだろうか。
「僕はいつの間にか、悦子のオトギ芝居に片棒かつがされていた。そしてそれが愉しい。」というように、“僕“は悦子と微笑ましいままごとに興じるようになる。カクレンボをしたり、追いかけっこをしたり、壁にかかる富士山の絵を見ながら「列車ごっこ」をしたり——。 そしてある日、ついに唇に、接吻をする。悦子の作ったパイを二人で食べ、そのジェロまみれになりながら接吻したのだった。それはグレイゴー中佐が家を留守にしてから、四週間が経ったころであった。
女の"少女的"無垢を楽しみ、訝しがり、それを彼女の「術」「ワザ」とだと思い、執着する。悶々と悩み、この夏休みの終わりを恐れるようになった"僕"は「悦子なしではいられなくなった」。「悦子と無関係なあらゆるものは、みなくだらなく見える」。グレイゴー中佐が戻ってきては、今までのように入り浸ることはできなくなるのだ。 中佐の家の食糧戸棚はもう空に近い。それが空になるとき、すなわちグレイゴー中佐が戻ってくるときは、二人の時間の終幕を意味する。まったくもって無意味なのはわかっていても“僕“は金を借り書籍や辞書を売り、その金でありったけの食糧を買って悦子に会いにいく。しかしその道中、グレイゴー中佐に会ってしまう。彼は、もう帰って来ていたのだった。思わず逃げ出し、原宿の坂を駆けおりて「云いようのない屈辱感と自己嫌悪のうちに」悦子のことを忘れようとつとめた。しかしそれは無理な話だ。手持ち無沙汰に、ただ絶望に暮れながら「ウロウロと店じゅうを歩きまわった」——「十一時頃、ベルがけたたましい響きを立てた」。 それは電話ではなかった。悦子がN猟銃店を訪ねてきたのである。
「三年ぐらい会わなかったみたい。」 僕にはその言葉がまるで別世界からきこえてくるもののようだ。 クレイゴー中佐と夫人とは、きのう突然帰宅すると、今日また出掛けてしまった。くたびれたから日光へ行って、休養してくるのだと云う。 「驚いた?」と悦子は僕の顔をのぞきこんで、「あさって帰ってくるんですって。二日間伸びたのよ、お休みが。
悦子は初めて散弾を届けた、その包み紙、それを調べてわざわざN猟銃店まで来たのだと言う。なんていじらしく、愛らしいのだろう。もちろん、“僕“もそのように思ったことだろう。しかし、このまま二人は結ばれて……なんていう読者の期待は、もちろん打ち砕かれる。私は、次の一節を未だに思い出しては自らを省みて、どこか一目散に逃げ出したいような気持ちに駆られる。その衝撃はあたかも、上から落ちてくる大きなタライ——ずんと頭に響き、誰の目から見ても滑稽だ。
僕は確信した。この女とはもう離れられっこない。彼女と僕とは、とけあって完全に一つになるべきときが来た。……燃えたったあまりの誤算だとは知らず、僕はほてった顔を柔らかな悦子の髪のなかにうずめながら、そう信じこんだ。だから、悦子のスカートのまわりをまさぐっていた僕の手が突然ふりはらわれたときには、しんから、びっくりした。そして何かの間違いではないかと思った。 「いけないわ、そんなこと。」 そう云って彼女は、また僕の手をはらいのけた。咄嗟に僕が感じたのは、羞恥だった。ほんの少しの間、僕は赤面しながらニヤニヤした。しかしそれはすぐ裏がえしの怒りに変わった。「……そんな馬鹿なことが」と僕は彼女の手を押しかえし、「それなら何故来たんだ。」とどなった。実際僕は、彼女の頸をしめ殺したいほどだった。(…)
(…)僕の疑問は「夏休み」のはじめ、彼女がヒグラシを鳥だと云った頃にさかのぼった。そしていまは、僕の見当ちがいが、悦子がまったくの少女にすぎなかったことが、あきらかにされたと思った。(…)
(…)いつか悦子は起きなおっていた。飾り棚のガラスの前で、髪の毛をなおしている。 「鏡なら、あすこに大きいのがあるぜ。」 僕は寝ころんだ椅子の上から声をかけて、ハッとした。僕はいま彼女の帰り仕たくを急がせているんじゃないか。ーーいまこそ僕は何もかも失いつつある。(…)
(…)悦子は鏡の中からふりかえった。彼女は何もしらない笑顔で、 「……駅まで、送ってくれる?」 僕はもう、おさえきれなかった。 「いやだ。……いやだ、絶対にいやだ。」
『ガラスの靴』は凄惨な悲劇である。こんなに簡単なことすら、すれ違う。しかしその問題は根深い。単に”僕”を「抱けずじまいのスネオくん」と取っては欲しくない。男なら誰しもが、この羞恥に共感することができるだろう。勘違い、自惚れ、無知、どのように言葉にしようと足りない屈辱と恥。この羞恥こそ、私は忘れてはならないものだと思う。結局、私は女のことなんて何一つわかっていやしなかった——。
「幻想を抱いていた」。"僕"に対する批判としてまっとうであろう。「女に幻想抱きすぎ」は現代でも定型文としての強度を持つ。しかし、この"僕"に関して、私は「幻想を信じ込めなかった」風に思う。1951年当時(七十年前!)の世の気風は推して量るしかないが、言い訳めいて言えば、いつの世も、男は女の無垢を信じきることが怖い、恐ろしいのである。そして無垢でないと思い込む。ただ、領域や深度の差はあれど、どんな人間にもわけのわからない無垢は存在していて、そこを理解しているかどうかは大変に重要な問題である。 単純な処女性の問題ではない。ジェンダー話やフェミニズムが広く浸透している現代、言うにはばかるが、私は男であって、他の男のこともたいしてわからない。他の女のことはそれ以上、まったくもってわからない。なぜなら私が男であって、ヘテロセクシュアルであるからだ。それをわかるようにつとめろ、と言われても、その努力をあきらめるわけではないが、それこそ一度死んで女に生まれ変わらなければわからない。
安岡章太郎の最大の手腕は、この男の羞恥に普遍性を見出し、作品として昇華したことにあろう。「鏡なら、あすこに大きいのがあるぜ。」男性の読者に「僕はそんなこと言ったことがない!」なんて言わせない。ここでなにもかもを失う自らに気付き、帰りの見送りを断れる男が、一体どれほどいるのだろう。私は見送ってしまう。そしてなにもかもを失う自身に気付かず、空虚な洞人間として違う女に腰を振っていた。わかりやすく”そんな風”であった日々を思い出すのがたまらなく辛いし、「今はそうでない」なんて断じえない。
ガラスの靴は町の至るところに落ちているし、相席居酒屋やクラブなんてガラスの靴だらけ、今ではインターネットの海にもぷかぷかと浮かんでいる始末だ。それを拾い、集めたところでの問題は、その靴が合う女性がいるか、その女性を見つけられるか、なんてものではない。
女が、ガラスの靴を欲しているかどうかさえも、私にはわからない。
201X年、夏。
バックヤードで飲む紙パックの赤ワインは、クラクラするような女の匂いと一緒に喉を通った。安物の香水と化粧品、揮発したアルコールが入り混じった、諸々の知覚を著しく低下させる、そういう匂いだ。
紀平(きひら)さんは、ほら白も白も、と言って、僕に満杯のグラスを手渡した。ものの数秒で飲み干すと、紀平さんは小さく、音の鳴らないように拍手をした。フロアにはまだ客が一組いたからだ。滋賀からのお上りヤンキー、と紀平さんは評していたが、確かに赤のスニーカーと淡色のジージャンが全く似合っていない。鼻につく下手くそな歌(呼気が多い)は、アルコールを吸い込んだ大脳にジンジンと響いてきた。あんなん聞いてられへん、手拍子なんかすんの腹立つやろ、裏で酒でも飲もや、紀平さんはそう言っては頻繁に僕をバックヤードに連れ出しささやかな酒盛りに興じた。紀平さんは、古いリキュールを瓶からそのまま飲み、ケケケと笑い、耳元のピアスを女性的に揺らしていた。紀平さんのピアスの穴は拡大しきって、もはや僕の小指ぐらいなら通りそうだ。
ガールズバー「L」では、紀平さんと僕以外に正規のアルバイトはいない。人手が足りないときは、系列店にヘルプの人員を頼むか、オーナーが重い腰をあげて来るかのどちらかだった。オーナーが来ないときは、系列のキャバクラやセクキャバから応援が来た。セクキャバは盛り上げやらなんやらで、意外に多くの人員が必要らしかったから、大抵の場合は上の階のキャバクラ「Z」から下っ端が遣わされた。それは黒服だけではなくてキャストも例外ではなかった。
ガールズバーやキャバクラ、セクキャバと言っても、対面に座るか乳を触らせるかどうかでさして業務に違いはない。女たちも、荒み方に若干の差異はあるものの、ほとんど同じような顔をしていて、バックヤードではディズニーツムツムに必死だった。キャスト同士の仲はあってないようなものだった。一線を引いて、お互い知らなくていいことはたくさんある。そんななかでも僕らには、みな気を遣わずにペラペラと、あるいは適当に喋った。理由は簡単で、僕らが女ではないからだ。
「しゅうくん、京大なんやろ? なんでこんなところでバイトしてるん」
最初に話しかけてきた“ユリさん“は、僕より五つほど歳上で、ガールズバー「L」でも古参だった。150センチぐらい、小柄で、病的に華奢、胸元をざっくり開けたペラペラのドレス、毎日のように出勤し、破滅的に酔った。紀平さんからは「ユリのドリンクは全部薄めにしといて」とも言われた。それでも勝手にバックヤードの焼酎をごくごくとの飲み、実費で給料から引かれては、クローズ後には手がつけられないほど暴れ回った。
「これ咥えてや! なあ!」と鞄からディルドを持ち出しては、僕をソファに投げ飛ばして、悪魔のように笑い続けた。僕は草か薬を疑ったが、紀平さん曰く、「ユリにそんな根性はない」「あいつももう29や。嫌なこともあるやろ」。
そんなユリさんに唯一懐いていたのは、トモカさんだった。身長は高く、肉付きも良いが、いかんせん目が腫れぼったくて、田舎っぽい。それでも彼女が人気だったのは、Hカップの豊満な胸(外にキャッチに出るときは、胸の谷間に、タバコの箱を横にして入れていた)もあるが、それ以上に、愛嬌のある話し振りだった。客に媚びるでもない、誰にでもあけすけで正直者、元ヤンのトモカさんは誰もに好かれた。
ユリさんはトモカさんを甚く気に入り、クローズ後もよく飲みに出ていった。出勤終わりの時点で彼女らは相当に酔っていたが、二人で肩を組み、木屋町の喧騒に紛れた。それを見届けたあとで、僕は紀平さんと店で飲んだ。
「ユリ、大丈夫かな」
——ユリさん、今日も元気そうでしたけど。
「いや、突然辞めて、風とかに流れへんかなって心配で。結構借金あるらしいねん。断れへん性格やし、ジュリアとかのも結構こうたってるらしいわ」
ジュリアさんはあの手この手で食器用洗剤や歯ブラシを勧めてくる。僕は学生だから断れたが、他のキャストも迷惑していた。
「ま、トモカがおるうちは辞めへんとは思うけどさ」
数ヶ月後、ジュリアさんが店を辞めた。他にも二人ほど辞めた。体験で入った子たちも、みな次の週には来なくなった。
いよいよユリさん、トモカさんの負担は大きくなった。僕はユリさんの卓に着くことが多くなった。ユリさんが飲みきれなかった酒を、代わりに飲むためだ。安いシャンパン、芋の瓶を入れてもらっては「大好き〜ありがとう〇〇さん!」。途中でユリさんはトイレから出て来なくなり、僕はおっさんとしみじみ芋を飲んだ。「なんか歌いや」と言われると、僕はよくクリスタルキングの『大都会』を歌った。おっさんはキーやテンポを上げて、おたおたする僕を見、手を叩いて喜んだ。トイレから出てきたかと思えば、ユリさんは紀平さんや客に説教を食らっていた。そしてまた酒を飲み、トイレに帰っていった。トモカさんは酒に強かったから、クローズまで酒焼けした声が店中に響いていた。店が終わると、トモカさんはユリさんの肩を抱いて帰っていった。
バイトが休みであっても、僕が足を運ぶ場所は結局鬱蒼とした繁華街だった。三条通りのローソンで鏡月を買って、河岸のベンチに座って友人と回し飲み。そこそこに酒が入ると、ナンパに精を出した。酒を入れると、自分の街のように思える、それが狭くチンケな京都の魅力だ。それだけで色んなことを忘れられる気がした。もっとも、どれだけ酔ったとしても、朝方の帰り道には思い出してしまうのはわかっていた。ともかく、中学、高校と不良少年になりきれなかった僕は、不良青年になりたかったのだ。クラブで女に声をかけ、町で女に声をかけ、安い居酒屋で語り明かし、女がおもしろくなければホテルか家へ、女がおもしろければ鴨川沿いに行った。女が釣れない場合も、結局鴨川沿いに行き着いた。第一、涼しい。あまりに暑ければ、川に入ればいい。
八月、朝の強い日差しに照り返す鴨川を見ていると、自分がどんどんと世間から引き剥がされる思いになる。橋の上には、会社員や学生が寝ぼけた顔で行進する。僕らは、すっかりぬるくなった缶チューハイをすすりながら、上裸で、河岸に体を横たえていた。蝉の鳴き声と日の眩しさが、自分が社会からはみ出していることを再認識させてくれる。橋の上を闊歩するでもない、ただそれを見て寝そべっている——自分。
え? しゅうくん? なにしてるん?
後ろから来たのは、ユリさんとトモカさんだった。手には、鏡月の瓶、それとクラブで貰える、光るビニール棒を持っている。「それ、返さなあかんやつでしょ」と僕が言うと、「ええねん」とユリさんは返した。
「あそぼや、うちら今日も休みやし。カラオケいこ、カラオケ」
——もういいですて、帰って寝ますてえ。
「一時間だけ、おねがい」
——ここでうとたらええですやん、一緒に歌いますから。
ここでぇ? と笑った顔に八重歯がのぞいた。僕の提案にユリさんは機嫌よくスマホをいじり、石畳の上にそっと載せて、立ち上がった。聞き覚えのあるイントロだった。
僕達は幸せになるため
この旅路を行く
誰も皆癒えぬ傷を連れた
旅人なんだろう
ほら笑顔がとても似合う
ユリさんは澄んだ裏声で歌った。首を揺らしながら、たおやかな咳払いに、涙が出そうなくらい胸が苦しくなった。店で客にせがまれて歌うときとはうってかわって、ユリさんは落ち着いて、一音一音を慈しむように声を出した。かつて嫌になるほど巷で流れていたはずの、浜崎あゆみの“voyage”は、今となっては郷愁を呼び起こし、十代のころを思い出した。あんな恋やこんな恋。あんな悪い奴やこんな良い奴。二人にも、そんな過去があるのだろう。誰にだって自分の物語がある。
ユリさんの隣、トモカさんは綿棒ほど細いタバコに火をつけ鏡月を瓶のまま豪快に飲んでいた。「なぁ見てみて、エロい?」。舌ピアスをカラカラと鏡月の口に当てて遊んで、トモカさんは上目遣いでこちらを見た。
——全然エロくないっすよ。
「え、せっかくヤらせてあげよかおもてたのに」
僕は返事をしなかった。
「なにだまってるん! 照れてんのかぁ、このガリ勉」
トモカさんは大きな手で僕の下顎を掴んで、左右にガシガシと揺らした。すると「しゅーくんも歌うっていったやんか!」とユリさんは僕に馬乗りになって、ビニール棒で僕の頭を思い切り、何度も叩いた。二人とも、川の向こう岸に届くぐらいの大声で笑っていた。
次の月に、トモカさんは未成年なのがバレて店をクビになった。ユリさんはしばらく仕事を続けたが、大阪の店に移るだとかで、結局辞めた。難波のセクキャバだと噂で聞いた。紀平さんも、しばらくして飛んだ。
僕は未だ京都にいる。だから、今でも朝方には鴨川の反射光に目を細め、手で日を遮り、三条大橋を渡る人々を眺める。河岸には酔い、歌う人々がいる。彼らを見て、もう会わなくなった夜の蝶々たちを思い出す。たくましく、健やかで、妖しい鱗粉を撒き散らしながら、それでも次の瞬間には堕ちてしまいそうな——女たち。誰だって旅人だ。幸せになるため、旅路を行く。
その店が『美味い店かどうか』は、結局のところその店の店主の価値観と、自らの価値観が『合う』かどうかに、多分に左右される。
友人、かく語りき。
原理主義者、なお的を射りしか。
“ある飲食店を応援する“というのは、何も人に勧めたり、食べログで星を沢山つけることだけではない。その店に行き、食べ、金を落とすという一連の行為こそが、一番その店を応援していることになるのだ。その意味で、我々は、“飲食店の選択“という行為について、深く考え続けなくてはならない。
また別の友人、かく語りき。
蝋の翼もて自由を謳歌せし者なり。神の逆鱗に触れじ未来を見てしがな。
——食の話に決裂はない。
音楽や小説、映画や写真などについて語るときより、食について語るときの方がぬるい空気が流れている。真剣に揉めることにはならない。政治や思想、宗教の話と絡むことはなく、一見「望む世界像」の違いを意識しないで済むからだ(もっとも、私は食の話も大いに望む世界像に関わると思っている)。
大抵「うまい」か「うまくない」の二択の感想しか出てこない。そして「うまくない」場合はその発話自体が生まれないこともある。その後細々となにか言ったとして、その「うまい」「うまくない」の二択が共通していれば枝葉末節では諍いは起きないものだ。
また、食事体験というのは店の雰囲気や接客、当日の精神状況、同伴の相手などをひっくるめた総合芸術のようなものであり、一概に舌のみで判断がつくとは言い難い。これも食を語る難しさ、議論になり得ない要因の一つだろう。そして、お互いの主張が食い違わない程度の結論に軟着陸する。二人の牽制によって、滑走路は常に美しく整えられている。「うまい店知ってる?」は「今日は一段と寒いですねえ」と同じぐらい使い勝手がいい。食はあまりに我々の生活に結びついており、文字通りの生きる糧であり、ありふれた下賤なものでもある。だから話題にはなっても議論にはならず、薄くて軽い“語り“のみが食文化の周りをふわふわと浮遊している。
一方、なんでもかんでも「うまい!」とかっ喰らう人生の方が幸せに決まっている、と私は思う。いちいちなにかしらにケチをつけ、批評家気取りの人間の寒々しさと言ったら——(この発言の危うさは承知している)。こと「食」「教育」「デザイン」にはみな口を挟みたくなるものだ。日常生活のなかで"甘噛み"で経験しているものだから、みな潜在的にセミプロを名乗っている。もちろん浅薄この上ない。
話がずれたが、とにかく食というものを真剣に評価、判断するのは難しい。好みの問題、内装の問題、ファッションや立ち位置の問題(嫌いな奴が贔屓のカレー屋は、問答無用で嫌いだ)。
私自身はそれほど食にこだわりがある方ではない。衣の大仰なバカみたいなカツ丼も好きだし、きっちり炊いた山菜おこわも好きだ。イクラやウニをふんだんに使った高級パスタも好きだし、ケチャップの酸味の残る古びた喫茶店のナポリタンも好きだ。自炊はするが、大したものは作らない。片栗粉とみりん、料理酒くらいは常備している程度の成人男性である。適当に煮るか、炒めるか。好きな食べ物は寿司。嫌いな食べ物はない。
うまいラーメン、まずいラーメンの話がある。
家系、二郎系、醤油味噌塩豚骨、食文化のなかでもラーメンは語りやすい。単価が安いのもある。はずれだろうと痛くはない。卑近でありながら、千円未満で、そして安すぎもしない(立ち食い蕎麦は安すぎて語られない)。ラーメンは語られる。サブカルチュアルでアイコニックである。シュッとしてお洒落、がウリの男も「庶民感」を演出できるし、華やかさを推す女も「親近感」を醸し出せる。私のような下賤の民は、新規開店の二郎、ないし“二郎インスパイア“は必ず食べに行くし、どんな箱入り娘だって「私は味噌が好き」ぐらいの意見は持つ。ラーメンは立派な大衆文化であり、語られるがゆえに絶えず厳しい批評に晒されている。ラーメンは間違いなく私たちの生活を彩る。誰しもに思い出の一杯があり、記憶から抹消された何十杯、何百杯がある。
そのなかでひとつだけ、本当にひとつだけ眉間にシワを寄せてしまうものがある。「ミシュラン系ラーメン」だ。京都市内ではまだそこまで目立っていないが、大阪の都市部ではどんどんと数を増やしている(ここで僕の言う「ミシュラン系ラーメン」とは、ミシュランガイドに載ったことを喧伝するラーメン屋、あるいはミシュランガイドに載ることを志向するラーメン屋、あるいは上記のようなラーメンを好む人間をターゲットに作られたラーメン屋、を指す)。
淡白な塩ベースないしは鶏白湯のスープ、こだわりの細麺、具は最低限なんです。チャーシューはないこともあるが、あったとしても色は赤すぎるか白すぎる。出汁と麺のハーモニーを楽しんでいただきたいんです。途中で山椒を入れてみてください。お好みで七味も。木目と暖色系の照明。マニュアル接客の女子大生スタッフ(なぜかスンとしている)。斜に構えた言い方の「ありがとうございました」。並んでいる奴らの緩んだ顔。細身のスーツの男が、部下の女を連れてきているのだろう。話題作り、話題作り。本当に、やかましい。
強権的機関のお墨付き。だいたい、ミシュランとは何か。そもそも食べログってなんだ。飯の良し悪しぐらい、自分で判断しろい。大切な人の誕生日や、プロポーズにだって、そんな第三者の評価を頼るのか? それならもうあなたの友人/恋人/配偶者は、検索機能とちょっとした(つまらない)会話機能付きの、グルメ端末と連んでいるのと変わらない。
もちろん、色んなラーメン屋があっていい。これは私の価値観の押し付けだ。多様性尊重を加速度的に求められる昨今、何かしらを排斥するのには勇気が要る。旨いミシュラン系ラーメンだってあるだろう。真摯に研鑽を積んだ"シェフ"の魂の一杯もあるだろう。しかし、今はそれを受容する側の"人間"の問題として考えたい。
あなたは、主人公か。
——わたしの名前は仁美(ひとみ)。二十六歳、今年で二十七歳になる。ついさっき、彼氏に電話で振られた。今年で付き合って四年になるのに。結婚も考えていた。でも彼は言った、「ひとみとは、一緒にいる未来が描けないんだ、ごめん」。実際のところの理由はわからない、他の女か、彼のお母さんが何か言ったか、あるいは——本当に未来が描けなかったのか。
歳をとってくると、友達は少なくなってくる。結婚を考える相手がいるとなると、なおさらだ。ワンワン泣いて縋るような友人は、もういない。彼との関係のために、多くの友人関係は霧消していた。仕方がないから、外に出た。彼との思い出のつまった部屋に耐えられなかったからだ。
どこを目指すともなく歩いていると、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。そういえば、彼と電話をしてから、今日はなにも食べていない。なにも土曜日に別れ話をしなくてもいいではないか。そのせいで、わたしは明日も悲しみに苛まれる。月曜日が待ち遠しいのは生まれて初めてかも、なんて、笑っちゃう。家に帰ったら『プイプイモルカー』でも、『愛の不時着』をもう一度? いや、このあと久しぶりにTSUTAYAに寄ろう。ディズニーだ。ラプンツェルを久しぶりに見たい。しかし、どんな悲劇のなかにあっても、腹は空くものなのだ。ラーメン。ラーメンが食べたい。
腹は減っては戦はできぬ(むしろ敗戦後とも言えるのだが)、わたしはラーメン屋の前に立った。そういえば、ここには一度来たことがある。
付き合いたてのころ、彼はちゃんと歯ブラシと着替えを持って泊まりに来た。もう記憶は定かじゃないけど、気の利いたお菓子も持ってきてくれていたかも。段々と彼の私物は増えた。服は脱ぎっぱなし、お皿もほったらかしになった。お出かけしよう、その約束が反故になり、二度セックスをして寝てしまって、起きた深夜、「腹減ったし、ラーメン食べにいかへん?」。彼の言葉に、わたしは「こんな時間に食べたら太るやん」と口を尖らせた。彼のジャンパーを羽織って、サンダルを履いて外に出た。「ほら、やっぱりさむいやん」とわたしは文句を言った。彼は「寒い方が、ラーメンうまなるで」と答えた。「あほか」と彼の背中を叩いた。本当に寒かったから、歩きづらいぐらいにくっついた。
毒々しい赤色の暖簾は、あのときと同じようにはためいていた。一人で暖簾をくぐるのは勇気が必要だったが、こんなことを躊躇しているようじゃフラれた意味がない。
白い木目がまだ真新しいテーブル、そこにお洒落でシックな黒の器が運ばれてくる。白いシャツ、黒いサロンで身を包んだ若い女が、嬉しそうな顔をして、言う。「特製ラーメンで、ございます」。済んだ褐色のスープに、二口で食べ終わってしまいそうな量の黄色い麺、微かな音量で流れるジャズに身を預けながら、髪も括らず、おちょぼ口で、上品に麺を啜る。この味、確かにこの味だった。何気ない冬のあの日、彼と、正直に言えばそんなに私はお腹が減っていなかったけれど、ともかく食べた、あの味。そうして、自嘲的な笑みを浮かべて、思うのだ。あーあ、私って世界一不幸な美少女——。
言わずもがな、この物語はミシュラン系ラーメンのせいで台無しだ。同情の余地がない。こういうときは、そんなに美味しくもなくて、安くもなくて、なぜ生き残っているのかわからない、そんなラーメン屋であるべきなのだ。
人生のなかで、星の数ほどある食事の機会のすべてを、自分の思惑通りにするのは不可能だ。僕だっていけすかないラーメンを食べることもある。いけすかないハンバーガーも、いけすかないバインミーも、フォーも、カレーも。
しかし、「ありがたがって」消費するという行動は、あなたを人生の端役にする。役名もない。台詞もない。「とは言っても、全部好きなんだから、仕方がないじゃん」。 ? 違う。「全部好き」は「全部なんとも思っていない」あるいは「全部嫌い」と限りなく等しい。物事を好むか好まざるかは、相対的なものだ。それぐらいに我々の感覚器や大脳、そして発する言葉は曖昧だ。言葉は心の鏡? そんなわけあるかい。人間は高尚ぶって、お洒落をしたり、文章を書いたり、わかりもしない本を読んだり、キテレツな絵の前で頷いたり、そんなものはすべて適当なことだ。曖昧な言葉、行動のなかで、唯一自分のものだ、と胸を張れるのは、感情の絶対量だけだ。そして、それは多くの場合「怒り」だ。「なにくそ」と、消費する行動は、貴方を貴方の人生の主人公にする。そしてその物語では、主人公だけが、何かを変える力を持っている。その細かな姿勢の蓄積は、必ず自らの考え方に作用する。間違っても、小汚い中華を「町中華」と名付けてファッションアイコンにはしてしまわないし、窓からの光量に言及しない。打ちっぱなしコンクリートの内装を見てすぐに「安藤忠雄みたい」と言わないし、路地裏に過大な信頼を置いたりもしない。そういうことの積み重ねは、それこそ海綿体のような大脳と小枝のような精神を生成する。賭けてもいい。
一応言っておかなければ不安なので、歯痒くも付け加える。賢明な読者の方々には蛇足で申し訳ないが、もちろん“ミシュラン系ラーメン“とは、あらゆる“そういうもの“のメタファーである。
冷蔵庫を開いても、大した食料はない。仕方なく、日清の袋麺を開けて茹でる。見映えだけは“ミシュラン系ラーメン“のような素ラーメンを啜りながら、これはこれで端役のようだ、と悲しくも思う。
しかし、半端な、下賤な、そんな気持ちでミシュラン系ラーメンを嗜むぐらいなら、僕は勇気を持って、素ラーメンでも素うどんでも啜り続ける。実現不可能なのは承知だ。卵も落とすし、ネギやチャーシューも入れる。たまにはちょっとしたところで外食もするし、馬鹿みたいに瓶ビールを空けてしまうこともある。しかしながら、これは意志の問題だ。
https://gallerymain.com/exhibiton_heterogenius_multi_core_2021/
“ゲニウス“、古代ローマにおいて信仰されていた神、という。神が万物に宿る折の形象、転じて、事象自体に内在する神の性質、本展では「個人のなかにある非個人的なものすべて」を司る神、とするらしい。
件の説明を受けて、私は、かつて世に満ちていると言われていた“エーテル“の存在を思い出す。元は天上の、宗教上の、想像上のものとされていたが、のちに物理学の分野でも援用され、“波動的光“を媒介する未知の物質として扱われていた。もちろん、これは相対性理論や量子論の出現によって“存在しないもの“とされた。光は波か粒子か、光速度は不変か、神の御業とも見紛う世界の謎に、磊々たる人類の叡智はついぞ届きえた。もっとも、届いたところで、さらに高い御空がある。
八百万の神、と信仰されていたのも今や遠い昔。科学信仰、とも揶揄され、私たちは全ての「科学的事実」を信じ込む。神のために、と若い命を投げ打った尖兵、どうかお願いします、と小銭を投げ込んだ貴婦人、どちらにしたって神なんて信じていないし、人間のことさえ信じていない。実際の、実生活に根ざした意味で、私たちが神について考えなくなったのは必然だ。
一方で、私たちは、縋る。いつまでたってもわかりあえない私たちを、神が、その御力が、媒介してくれれば、どんなにか素晴らしいことだろう。身体的に断絶された(かのように見える)私たちは、精神的に結びつくことさえ覚束ず、失敗ばかりを繰り返す。
「ヘテロゲニウス・マルチコア」は、無菌室のようだった。
共感を尽く拒んだ展示物の数々、一見理解に苦しむものも多く、「表面的な共感など要らない」という姿勢の表れであろう。なかでも“共感への強い拒絶“は山崎の映像作品に色濃く映し出される。画面は荒れる。たこ焼き機を囲む。隠匿されないグリーンバック。嘔吐。私が作品群、展示から受け取った問いは以下の四つに集約される。
・ゲニウスは存在するか。
・ゲニウス的“私“、私‘は存在するか。
・ゲニウス的“私“、私‘同士の最小人数で実験する。(二人/四人展の開催)
・ゲニウス的“私“、私‘とゲニウス的“あなた“、あなた‘は接続し合えるかを実験する。(展示と観覧者の関係性)
「共感性羞恥」という言葉が、人口に膾炙して久しい。HSP(Highly Sensitive Person)に関する書籍は飛ぶように売れ、書棚を席巻する。憚りながら言うが、私は誰にも共感していないし、Highly Sensitiveでもない。生きづらさを感じるのは、そんな超能力のせいではない。
共感は難しい。真に共感するなんてことはあり得ない。ただ、その語義を「反芻行為」ぐらいにまで広げるのであれば、私たちはゲニウス的に接続されているのかもしれない。欠伸は感染る。心理学的ミラーリング。しかしその反芻に、感情は伴わない。私は、私たちは、感情を伴って共にあることを欲し、人の間に生きている。
煮え切らなさ、もどかしさ、その類のものを心に抱いた。私は、山﨑の嘔吐に「もらいゲロ」はできなかった。共感どころか、反芻することもできなかったのである。展示での問いはまだ発展途上であり、私はいずれ思い出したかのように「もらいゲロ」するのかもしれない。しかし、「私たちは分かり合えない」と突き付けるではなく、山﨑の混迷と葛藤をそのままに写したような映像、そしてその展示は、彼の「懺悔室」のようにも見えた。
テクノロジーと人間とを比較した際、そんな“煮え切らなさ“が、ともすると、人間を人間たらしめているのかもしれない点には留意するが、私たちがいつだって感情移入するのは、竹を割ったような、実直な、エゴイズムそれ自体、その熱量に対してである。それこそ、そのエゴイズムは、ホモジニアスでもヘテロジニアスでもない、機構そのものを超越した生の欲動とも言えるだろう。
“煮えきれない“ように見えるのは恐れや慄きかもしれない。一方で、他者の強い懺悔や悔恨は、私も(それが私‘であっても)、理解を深めることに躊躇する(だろう)。それは精神的操作ではなく、連綿と受け継がれてきた生命の機構だ。他者の、つらくかなしいこと、に一々心を揺るがせていては、生きてはいけない。もちろん、これは嘆かわしいことだ。
私は嘔吐できなかった。山崎、山﨑‘の懺悔や悔恨、そのもどかしさを、私、あるいは私'は身体的にも精神的にも反芻できなかった。
ゆえに、私はアンチゲニウス的結論に達した。神の不在を宣言するわけではない。人の能動的、主体的、切実な行いのなかで、私たちは傷つきながらも(何かを言いながら)生きていかねばならないし、共感しようとせねばならない。
それに対する、拍手喝采も、冷ややかな目線も、変わらない。同じく能動的であるならば、あとはゲニウスのお力添えを"神頼み"するのみである。熱心な宗教者には、神の御加護があって然るべきだ。エーテルだって、いまだ世界に満ち満ちている。
終電の阪急電車に揺られていると、向かい側に座る一組の男たち、若い大学生風の二人が、大きな声で話していた。肩を組み合い、たいそう酔っている。
だからさ、その看護師、ティンダーで会ったんやけど、飯食ってすぐホテル。でも生理やったらしいから、フェラで抜いてもらったわ、はは。先言うとけよなぁ。
あらゆる側面において快い話ではないのだが、必死に目くじらを立てるほどではない。この手の話は、毎分毎秒世界中のどこかでされているし、誰しもそういうことを言いたい時分もあろう。
個人的な意見としては、それでもこれが「その看護師たち、全員生理やったから二十人に体中舐めてもらったわ」だと、あまり不快ではない、というより、笑ってしまう。"程度"が甚だしく、可笑しさがある。
これでも大多数の人間が嫌悪感を示すことは理解する。どちらの発言であっても常識的、道徳的、女性蔑視的、職業差別的、品格の——問題が混在し、他の乗客たちが冷笑しているのも見てとれた。
どうすればこの発言を心中で御しきれるのだろう。どうすれば理解し共感できる。そもそも不快の源泉は何なのか。悶々と考えているうちに、ふと思った。その看護師が、もしも、この世界に——。
『人間失格 太宰治と三人の女たち』(2019)は作家、太宰治の生涯を、脚色を含めながら映像化した作品である。僕自身、太宰治に対して、あるいは『人間失格』に対して複雑な感情がある。中学のころに『人間失格』を読み、甚く心を打たれたのだが、今となっては苛々するばかりだ。それは作品自体に、というよりも、受容のされ方にある。誰も彼もが、主人公、お道化の葉蔵に「僕/私も、この気持ちがわかる!」という顔で『人間失格』を本棚に置き、鼻息を荒くして語るが、葉蔵のように上手なお道化は周りを見渡しても一人もいない。
「人間失格パラドックス」とでも言おうか、「人間失格が好き、わかる」と表現すればするほど、それは道化の失敗を重ねることになり、主人公の葉蔵から遠く離れていく。『人間失格』に、理解や共感があると示すほどに、それは『人間失格』の世界には適格であり、作中内の『人間』の意味においては『人間適格』であって、それを作外からメタな視点で見た際には、もちろん彼ら/彼女らは人間失格である。
簡単に二律背反を持ち出すのは癪だ。現実的には問題はもっと複雑で雑多なのもわかっている。だが、僕が、そして多くの人々が“人間失格コンプレックス“を持つのは事実だろう。
映画は、終始、嘘のような画面で表現される。毒々しく痛々しい花々、馬鹿みたいなラブシーン、全てが虚飾のようで、賛否両論あったのも肯ける。「愛」と呼称するのも憚るような浅はかさ、言葉の数々。しかし、元来愛の定義は不可能であり、高尚か低俗か、この二つのどちらかを提示することさえ難しい。そういう意味では意欲的な画面作りとも言えよう。端から見て高尚か低俗か、そんなことは当人たちにはなんの関係もない。
ただ、その安っぽさ——まるで高級ラブホテルでの情事のような——には、皮肉にも私は怒りを覚えなかった。一部の人間に神格化され、多くの人間に「なんとなく闇のある凄い作家」と見做されている太宰治だって、一人の、欲望に忠実な、人間だった。適格だったのか、失格だったかは知らない。しかし、人間。そのように僕には見えた。
坂口安吾の短編に『不良少年とキリスト』がある。これは友人でもあり、同時期に「無頼派」と呼ばれ、ともに文壇を牽引した太宰治に対して、また彼の死に寄せて書かれた文章だ。
太宰は、M・C、マイ・コメジアン、を自称しながら、どうしても、コメジアンになり切ることが、できなかった。
今年の一月何日だか、織田作之助の一周忌に酒をのんだとき、織田夫人が二時間ほど、おくれて来た。その時までに一座はおおいに酔っ払っていたが、誰か織田の何人かの隠していた女の話をはじめたので、
「そういう話は今のうちにやってしまえ。織田夫人が来たらやるんじゃないよ」
と私が言うと、
「そうだ、そうだ、ほんとうだ」
と間髪を入れず、大声でアイヅチを打ったのが太宰であった。先輩を訪問するには袴をはき、太宰は、そういう男である。健全にして、整然たる、本当の人間であった。
しかし、M・Cになれず、どうしてもフツカヨイ的になりがちであった。
(略)太宰のこういう「救われざる悲しさ」は、太宰ファンなどというものには分からない。太宰ファンは、太宰が冷然、白眼視、青臭い思想や人間どもの悪アガキを冷笑して、フツカヨイ的な自虐作用を見せるたびに、カッサイしていたのである。
もとより、太宰は、人間に失格しては、いない。フツカヨイに赤面逆上するだけでも、赤面逆上しないヤツバラよりも、どれくらい、マットウに、人間的であったかもしれぬ。
坂口安吾『不良少年とキリスト』より
劇中にも坂口安吾は顔を出している。その雑な扱いに、一人の“坂口安吾信者“として憤りはあったが、それは、まあ、いい。
いかに目で、耳で、体で、ときに美しい世界に浸ろうと、私たちはくすんだ日々を生きねばならない。何色か、なんて言いようのない、ぶつぶつでぐちゃぐちゃの現実が、ぐるぐると足元に渦巻いている。
そして、そのなか、突然目の前に、手が、乳房が、陰唇が、男根が、現れて思わず手にとってしまうこと、時にそれらを自ら相手に差し出すこと、僕はおいそれと批判することはできない。誰だって寂しくつらい。それこそ、寂しさを紛らわせる“不良少年“の行いそのものだろう。
太宰治は、キリストではなく、一人の人間だった。それを伝えたいがためにこしらえられた(ように見える)映像は、十二分にそれを発散させ収束させていた。もちろん一本の映画としての評価ではない。太宰治史、あるいは現代社会史とでも呼べるもののなかでの位置づけだ。
とかく神聖化されることの多い一人の悲しい男、受肉もしていなければ、道化も演じられない、そんな一人の作家の浅ましくも軽やかな生活、そしてその脇に佇む女たち、彼も彼女らもみな道化を演じようとした。結果に関しては、言わずもがな。
道化を演じた、一人の人間。隣の誰か、すれ違う誰かをそう慮ることで、解決することもあろう。そして冒頭の看護師だって、はたまた酔っていた二人の男だって——。
我々は、遠い人に対して、想像を巡らすほかない。ひょっとすると、近しい人にさえ——。自らのことさえまことに知り得ぬのに、ましてや、あなた、そして第三者に対してなんて、気が遠くなる。
件の看護師が「ブスの男を暇つぶしに抱いてやったわ」と高笑いしていること、件の男たちが翌日に赤面逆上していること、その両方を心より望み、また僕は道化の道に舞い戻ろうと思う。皆道化を演じ、時々失敗する。笑う。虚勢を張る。酒という魔術で、恋“擬き“をしたり、大口を叩く。翌日には赤面逆上する。これらは、もう二度と会わない人、限りなく死人に近い彼ら彼女らに対する弔いであり、供物でもあり、痛烈な死体蹴りでもあろう。それ以外に人間らしい営みなどないし、もとより我々は人間である。
情死なんて、大ウソだよ。魔術使いは、酒の中で、女にほれるばかり。酒の中にいるのは、当人でなくて、別の人間だ。別の人間が惚れたって、当人は、知らないよ。
第一、ほんとに惚れて、死ぬなんて、ナンセンスさ。惚れたら、生きることです。
人と比較せず個人ごとに幸せと感じられる
もしそんなことができたらそれはお前の望む世界だ
(略)
現実的には…誰かの幸せによって別の誰かが不幸になるなんて珍しくもない話だ
競い合い奪い合いそうやって勝ち取る幸せってのもあるだろう
(略)
何かを選ぶ時は何かを選ばない時
いつかは決めなくちゃいけない日がくる
いつかはな
上杉風太郎 『五等分の花嫁』10巻より
幼稚園のころ、テレビに映った『セーラームーン』に少し胸を高鳴らせて、しかし「こんなんおもろないし」と親に強がりを見せて、すぐにチャンネルを変えた。親はニヤニヤしながらこちらを見ていた。それにもなんだか腹が立った。もちろん、本当は『セーラームーン』を見たかった。
『涼宮ハルヒの憂鬱』を見たのは高校生のころだった。それからパソコンでちまちまと『灼眼のシャナ』『ゼロの使い魔』『とらドラ!』やらを見るようになった。誰に言うでもない。そういう話は学校ではしない方がいいと思った。僕にも僕なりの立ち位置があったし、アニメオタクへの偏見は今よりずっと強固なものだったと思う。当時の彼女には携帯の画像フォルダは見せられなかった。BUMP OF CHICKENやAqua Timezの話をして、茶を濁した。結局、浪人中にフられた。
大学に入り、念願の一人暮らし。しかし、日々生活を送っていく上で、大学生は思ったより忙しい。アルバイトに飲み会、デート、しょうもないことを数千字書くくだり、そうした時間の隙間でアニメを見ようとすると、あることに気づく。
「“学園物“を受け付けなくなっている」。
当時、アニメ『氷菓』が始まったころであったが、僕は一話で視聴をやめてしまった。『けいおん!』は見たが、何せ“高校生活“そのもの自体が鼻についてしまうのだ。実生活が忙しく、華やかなせいもあろう。大学生特有の「高校生? わっけ〜」もある。とにかく、僕はそうしてアニメから離れた。常識の範疇として、流行っているものは見るが(転スラ、リゼロなど)、それ以上ののめり込みはなかった。
『五等分の花嫁』は結末を知ってから、第一話を見た。流行っていると聞いていた。十歳下の弟も面白かったと言っていたし、結末について方々で盛り上がっていたことも知っていた。第一話を見た感想は「こっから、そうなるんか、すごい」。気づけばアニメを熱心に見て、違法サイトで漫画を読もうとした。しかし申し訳なくなって、単行本を買った。作者にお金が入って欲しい、と思った。一番くじも引いた。“ごとパズ“(五等分の花嫁のゲームアプリ)のイベントガチャを回した。日本橋オタロードに足を運んで、ラバーストラップのガチャガチャを回した。Tシャツを買った。いや、格好つけずに言うと、彼女に買ってもらった。ありがたい。
『五等分の花嫁』は、面白い。 “可愛さ500%の五つ子ラブコメ!“と謳っている通り、可愛さは500%だが、サスペンスやミステリーとしての側面も強い。主人公の風太郎が、一体五つ子の誰と結婚するのか。第一話で“誰か“との結婚式が描かれるが、その相手を予想するのが面白い。僕は結末を知ってから読んだが、それでも話の展開を読めなかった。そして、その構造、構成の面白さもさることながら、それ以上に特筆すべきはキャラクターの描き方だろう。これは、絵の技術ももちろんだが、読者を、そしてキャラクター達を“舐めない“姿勢に帰結する。
絵の技術に関して、まずキャラクターの造形が愛らしい。可愛いのはもちろんのこと、デフォルメが上手い。まさに“キャラクター“がしっかり伝わってくる。 そしてその可愛らしい絵のなかで、時折差し込まれるシャープな横顔の筆致に胸を掴まれる。横顔が、本当に美しい。そして、ここぞ、のシーンでは必ず見開き一ページ。でかい絵は、感動もでかい。 五つ子だから、顔は一緒なのだが、その作りも上手いと思う。元々漫画やアニメのキャラなんてのは、大体が同じ顔をしている。髪型や髪色、目の色などで描き分けてはいるが、その差異はあってないようなものだ。「アニメキャラなんて、みんな顔一緒やん」、こう言われても、『五等分』ファンは嬉しそうにこう答えるだろう、「せやねん、五つ子やからなぁ」。
初っ端に「五つ子」という、到底あり得ないような設定が張り手で示されるが、それゆえそれ以降の出来事に疑問を抱く隙を、読者に与えないように工夫されている。端々に物語の速度を削がないような適度なリアリティが持たされている(五姉妹の仲の良さ悪さ、学園内での扱いなど)。ラブコメにお決まりの、第三者が「超絶美少女!」だとか「学園のアイドル!」と言うシーンはない。容姿端麗であることは、作中“ある程度“示唆されるが、それ以上の蛇足はない。可愛いキャラクターは、(作中の)外野の評価などに頼らず、その技術と魂で可愛く描き切るのだという意志を感じる。
本編では余程のことがなければ着用時の下着は見せないようにしています。これはパンツを見せたらヒロインの格が落ちるという謎の宗教に入っているせいでもあります。裸は大丈夫なので本当に謎です。よく読んでる方は知ってるかもしれませんが一度だけ不安になって描いちゃったことはあります。
春場ねぎ twitterより
少年誌掲載のラブコメだから、もちろんお色気シーンもある。入浴回、水着回。セクシーで見ていて快いものなのだが、ただ、そこに下賤さを感じない。チープに見えない。これは主人公の風太郎が“超“がつくぐらい貧乏だったり、学年トップの学力を努力の結果有していると言う設定のせいもあるが、設定以上にその言動が、僕たちに彼を応援させる。彼は、不誠実でもノロマでも鈍感でもない。ヒロインの好意にもちゃんと気づく。話の都合上の“難聴““すっとぼけ“なんかない(正確に言えば、難聴は一度だけあるがそれも物語に華を添えている)。彼は一人一人の好意をちゃんと受け止めた上で、冒頭の引用文のセリフに行き着く。従来のラブコメでは、ドジでノロマで鈍感な主人公に読者を感情移入させる形式が多かったが、『五等分の花嫁』は違う。僕たちは「皆にモテモテ、ハーレム主人公」を応援するのではなく、健気に風太郎を想う五つ子たちに感情移入する。
何分、漫画やアニメといったサブカルチャーは“逃避先“としての意味合いが、いわゆるハイカルチャーと呼ばれるものより色濃い。純文学やアート作品といったものは、僕たちを逃げ場なく追い立て、内省を迫る。それが芸術性として評価される場合もあれば、説教臭さとして疎まれることもある。一方、逃避ばかりしていても、それはそれで虚しくなる時が来る。「僕たちは、どこまで行っても消費者なんだ」。
『五等分の花嫁』は、消費者の移り変わり、コンテンツの移り変わりが早いポップカルチャーのど真ん中にありながら、僕のようなスノッブをまた「なんでも楽しめる」一読者にしてくれた。五つ子たちは、可愛い。純粋で汚れなく、そして人間らしい。こんな世界があったら、僕が風太郎であったら——。いや、僕はそんなに良い奴ではない。僕は勉強は出来た方だったが、風太郎に言わせれば「それだけの人間」なのだろう。 逃避と内省のあいだを行ったり来たりしながら、僕は八巻、十巻、そして最終巻で涙を流す。そして、その対象が何かはわからないけれど、ふと思う。頑張ろう。
作者の春場ねぎ先生、担当編集の方々そしてメディアミックスに携わった方々に最大限の敬意を払い、感謝と労いを伝えたいと思う。 文章にしてしまうことで、“熱“のようなものが冷めることを恐れていたが、どうやらそんなものは杞憂だったらしい。三月中にゲーム発売と一番くじ、アニメ二期最終話が控えている。商魂逞しい、と思いながらも、素直に好きなものの世界が続いていくことを喜びたい。
私たちは寂しく、金が必要だ。
孤独であり続ける人などいない。誰かと喜びや悲しみを分け合って、時にその配分で争うこともあるのだが、とにかく人と人との間で、人は生きる。誰かに話したい。誰かに知ってもらいたい。あなたを知りたい。あなたに知ってもらいたい。
また、衣食住、交通、余暇、何にとっても全てに金は必要で、それはもはや無人島における“水”のようなものだろう。資本主義社会下で、金は全ての始まりであり、全ての手段である。働かざるもの、食うべからず。寂しさを埋めるのにもまた、金が要る。
先日巷で話題になったソーシャルネットワークサービスに「Clubhouse」がある。“招待制”という誇示的消費心をくすぐるこのSNSは瞬く間に広がり、事実私もアカウントを得た。肯定的、否定的言説が飛び交っているのもわかる。社会的な権威、発言権を有するものの“意識が高い”語り、という評論もイヤというほど見た。斜に構えるスノッブの気持もわかるし、上手く活用していこうという意見もわかる。「馬鹿が増えておもしろくなくなった」、嗚呼、選民思想、選民思想——。「アカウント持ってるマウントが鬱陶しい」、嗚呼、別領域マウント奪還——。
そもそも、私自身は意見することも憚られた。TwitterやInstagramを始め、SNSに関する論評自体が“出し尽くされた”“つまらない”もののように思えてしまう。次から次へと現れるツールに、一喜一憂するのも考えるフリをするのも疲弊する。
ただ近年、“心の労使関係”とでも名付けようか、人の心的な利用・被利用に関して、みな敏感になっているようには思う。西野亮廣氏の『えんとつ町のプペル』のマーケティング手法に関して盛り上がるのも、その一例だ。「信者は利用されているだけだ」、「金の稼ぎ方が度を越している」。「西野さんはすごい」、「作ったものを多くの人に見てもらいたいのは当然だ」。「こんなの、マルチビジネスだ!」。
私はかつて、マルチビジネスに対して激しい怒りを覚えていた。直接自身が被害にあったわけではないが、その「人間関係を金に換える」システムに苛立ちを隠せなかった。クラブで声を掛けた女の家に上がり込み、大量の“サテニーク”や“トリプルX”にゾッとしたこともあるし、逆ナンしてきた(と思っていた)女に「お金って二種類あるって知ってる?」と尋ねられたこともある。勤務していたキャバクラやセクキャバ、ホストクラブにもマルチビジネスは蔓延っていたし、田舎から都市部に出てきた若者は“喰われる”と、肌感覚でわかった。だから、そんな人たちに論戦を仕掛けたこともあった。こんなのは絶対におかしい、そう信じて止まなかった。しかし返ってくる言葉といえば、「一緒に成長しよう!」、「結構楽しいよ、バーベキュー来る?」、「月嶋くんは恵まれてるからわかんないんだよ」——。
マルチ“ビジネス”と名が付いている以上は、経済活動と定義される。しかし彼ら/彼女らを「人間関係を金に換える」資本主義の奴隷と断罪するのは早計だ。勿論金が欲しい、“人脈”を得たい、楽して大金を手にしたいのだが、それ以上に彼ら/彼女らは寂しい。寂しさを埋めたい。自分が相手にとっては稼ぐ道具なのもわかっている。と言うよりも、そんなことは最早どうでもいい。人と話したい。会いたい。わかって欲しい。認めて欲しい。それほどまでに、人との繋がりはなにものにも代え難い。
そもそも、「人間関係を金に換える」点に関しては、誰もが堂々と指を指し批判できるものではない、と思う。多かれ少なかれ、私たちは生きていくために同じようなことをしている。小さな輪のなかで“信じて”もらい、その輪から金を得る。やっていることはみな一緒であり、あとはその輪を大きくしようと躍起になるだけだ。その輪の大きさを競うのが資本主義であり、みなが内心それを肯定している。自由主義を標榜しているから、輪が上手く作れないものは淘汰されていく。私はClubhouseで熱心に配信をするわけではない。マルチビジネスもしていない。『えんとつ町のプペル』も見ていないし、さかのぼるとキングコングの漫才も好きではない。が、結局“輪作り”には不本意ながら参加してしまっているのだ。それは私だけでなく、あなたもそうだ。バンドマン、漫画家、美容師、外回り営業、あなたがなにをしていようと、その“輪作り”の過程は存在してしまう。
それは単純に金のためかもしれないし、寂しさを埋めるためかもしれない。何のためであっても、全てのことに金は纏わる。勿論それは何かしらの対価であるのだから、受け取るのは当然だ。しかし本当は——好きな人にお金なんて払わせたくはない。その金で旨いものでも、気の合う奴と楽しく食べていて欲しい。
輪が大きくなれば、その構成員のひとりひとりの個人性は薄まり、罪の意識は小さくて済む。輪が小さければ、そのひとりひとりの顔や生活が想起され、先述のようなジレンマを抱えることになる。
結局、私たちは共犯者だ。自らの孤独に耐えることが出来ず、人との関係を金にしたり、金の出る泉にしたり、あろうことかその泉の建設作業員として人をこき使ったりもする。人を寂しさを埋める梱包材として雑に放り捨て、暇つぶしの道具としてその心の突起をプチプチと潰したりもする。そしてあたかもそうではないように笑顔で「おつかれさまです」と会釈し合い、握手をする。いやぁ、久しぶりに身体を動かすっていいですね。そう言って貰えると、コチラも頭が下がります。どちらか、あるいは両方が、陰でニヤリと笑う。してやったぞ、馬鹿め。
ある特定の人間に、みなでナイフを一突きずつ。そして何もなかったかのように、上品に襟を正して、シャンパングラスに映る自らの姿にうっとりする。これは正しいことなのだから。あいつは当然の報いを受けただけではないか。オリエント急行に乗り合わせた私たちは、罪の意識なんてあるはずもない。なぜなら、あのポアロだって見逃してくれたじゃないか。
一つ、あの物語と違うのは、「私だけの罪にしてはいただけません? 私はあの男を十二回だって刺したことでしょう」という美しい声は、未だ響き渡ってはいないということだ。
「人は孤独だ」、そんな当たり前のことを当たり前に大音量で響かせる世界は耐え難い。もちろん人は孤独であるのだが、そんなことは言わず心に留め置いて、人を好きになったり嫌いになったり、そして使ったり使われたりし、泣いたり笑ったりすること以外に、生を肯定する術など存在しない。これは決してニヒリズムなどではない。鷲の勇気と蛇の知恵なんかなくとも、私たちには私たちなりの勇気と知恵がある。
あいつ今何してるんだろうね、と言わなくなった。
卒業してから年数が経ったのもあるし、調べれば何でも出てきてしまう時代のせいでもある。しかし、元々「あいつ今何してるんだろうね」という言葉は、その対象への甚だしい愛着を意味しない。その対象への弱い興味と懐古、その場での連帯とが綯い交ぜとなって、その音は空に放たれる。音は空気を震わせ、そのエネルギーは減衰していくが、ゼロになることはない。何かとの摩擦、あるいは熱となって、この世界にその音の痕跡を残し続ける。
正直に言えば、高校の匂いには辟易していた。
勿論、入学してしばらく経つとその匂いは感じなくなるのだが、卒業して久しぶりに訪れるとその匂いは否応なく脳に作用する、そういう実感が確かにある。匂いに嫌悪はあるが、その感覚自体は嫌いではない。ヒトという生き物が、かくも容易に慣らされ、無理矢理にも適応していることを自覚できる。自らの矮小と普遍とを享受できるとも言っていい。
高校の友人とは久しく会っていない。尤も、齢三十で未婚の男では、そんなものだろう。既婚で子持ち同士であれば話も弾むだろうが、同じ学び舎にいたはずであっても、人生のグラフはその後なかなか交わることはない。些細なズレ、傾きの違いが、その数年後大きな差となり、経済状況や価値観の差異となって現れる。共通の話題と言えば在学時の思い出か、あいつ何してる、などのゴシップに限定され、それを楽しみ続けられるのは、根から明るい人間か、或いは、誰もが羨む成果を得た、と胸を張れる人間だけだろう。
兎に角、高校の同窓会には出なくなったが、それでも時折高校時代を思い出すことはある。十五歳から十八歳の三年間というのは、何せ多義的に精力が有り、中学校の三年間ほどの陰鬱さ、ぬめっとしたルサンチマンが無い。ある程度自意識と折り合いをつけながら、葛藤しながらも、何かしらの結果を求めたがる時分だろう。それは彼氏や彼女を作ることだったり、部活を頑張ることだったり、勉強して成績を伸ばすことかもしれないが、とにかく高校時代というのは「快活な過渡期」だ。
僕はそのなかでも快活な方だったと思う。これは友達が多かったとかクラスの中心だったと言いたいわけでなく、単純に勉強と部活と恋愛とか、様々な方面で奔走していた、という意味だ。
毎日テニスラケットを振り、帰り道には意中の女にメールする。勉強は、好きな教科だけでもやっておこう。レギュラーとして試合に出て、近畿大会に出たい、あの子と付き合えたら、あの大学に入れたら——。
現実的に僕に出来たことと言えば、テニスコートでボールを打ち続けることぐらいだった。勉強は続かない、朝早く起きるのは苦手で朝練にはなかなか行かなかったが、放課後には黙々とトスをあげた。帰り道には好きな女にどうしようもないメールを送りつけ、返信はなかなか来なかった。それこそ、昼となく夜となく、愚にもつかないサーブを打ち込み続けていたのである。吐き気を催すほど——青臭い。
ソフトテニス特有の“パコン”という打球音は、硬式テニスのそれよりも、高く天に抜けていく。軽々と、まるで「お前の悩みなんて些末だ」とでも言いたげに、ゆるゆるとボールは落ち、力なく弾んだ。その間隙に、間の抜けた言霊が駆け抜ける。
あめんぼあかいなあいうえお!
かきのきくりのきかきくけこ!
きつつきこつこつかれけやき!
——!
テニスコートの側にあるピロティからは、演劇部のMの叫び声が聞こえた。演劇部の部員は彼一人、スポーツ刈り、空気を読まずに授業中ボケる。Mは鼻つまみものだった。成績も悪いのに「東大に行く」と言っては失笑を買っていたし、彼がこうして叫んでいる間もテニスコートではクスクスと笑い声が聞こえる。二年のときにMと同じクラスだったが、結局ほとんど話したことはなかった。Mは強い精神を持っていたのだと思う。葛藤もあったのだろうが、それを乗り越えたいという心が彼を一人芝居に駆り立てた。監督脚本演出、もちろんキャストも彼一人、秋の文化部発表会で、Mは一人芝居を一時間半もやってのけた。
多くの生徒は見ることさえしなかった。文化部発表会中、学生は自由行動で、教室での展示を見るのもホールで演奏を聴くのも自由だった。体育会の学生の大抵は、各々の部室で大富豪に興じていた。早く練習したいのに、新人戦が近いのに、音楽部のアイツの顔きもかった、文化部の発表なんて知るかよ——。
流石に劇の細部までは覚えていないが、僕は最初から最後まで観劇した。見終わった後に、皆で粗探しをして叩いた。当時流行っていた「フリースタイル」という清涼飲料水(アクエリアスに炭酸が混ざっている)をゴクゴクと飲んで、部室で笑い合っていた。その実、こうも思った——もし自分なら、一人で、ここまでのものを作れるだろうか——。彼の一人芝居は支離滅裂でおかしくて、すこし寂しかった。
その後、僕はMに話しかけて……などという青春ドラマは起こらず、結局僕とMが交わることはなかった。なんの華々しさもなく、僕たちは当たり前のように卒業し、当たり前のように浪人して、鼻水を垂らしたまま大学に入学した。Mは東大を目指して二浪している、ところまでは聞いたが、その後は知る由もない。
十年あまり経って、ふとMのことを思い出した。今の時代、調べれば簡単に見つかってしまう。彼は大手のメーカーで開発職についていた。東大も諦めたようだった。全くもって義理も権利もないのだが、なんだか腑に落ちないと思った。高校時代のように、訳の分からないことをしていて欲しかったのである。無理矢理にでも、職場の飲み会では一人芝居が大ウケしているんだろう、と想像を巡らせた。あるいは、奥さんや子供にウケているのかもしれない。人知れず舞台に立っているのかもしれない。ただ、生活というのは多くの場合容易ではないし、容易であったとしても半端な気持では臨めない。何かを止めるというのは、何かを始めるということを意味する。他者がどうこう言うべきものではないのは自明だが、そんな正論ばかりでは世の中はいっそうつまらない。
あの日、僕が打った力のないファーストサーブ、そしてMの馬鹿みたいな発声練習は、同じ空の下でぐるぐると混ざり合って、見えなくなるほど聞こえなくなるほど小さくなった。何も僕ら二人だけの音ではない。誰かのしゃがれた「ファイトファイト」というかけ声、誰かのかすれたフルートの音色、誰かのバットの素振り、誰かの「付き合って下さい」という告白、誰かの照れ笑い、誰かの泣き声。乾いたクレーコートの空中には、最早留まっていないだろう。慰めだ、と揶揄されようと、あの日あの場所で鳴っていた音は、今もどこかで鳴り続けている。そう思わずには、とかくこの世は生きがたい。