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夜の蝶々は川面に歌う

  • 月嶋 修平
  • 2021年4月20日
  • 読了時間: 7分

201X年、夏。


バックヤードで飲む紙パックの赤ワインは、クラクラするような女の匂いと一緒に喉を通った。安物の香水と化粧品、揮発したアルコールが入り混じった、諸々の知覚を著しく低下させる、そういう匂いだ。

紀平(きひら)さんは、ほら白も白も、と言って、僕に満杯のグラスを手渡した。ものの数秒で飲み干すと、紀平さんは小さく、音の鳴らないように拍手をした。フロアにはまだ客が一組いたからだ。滋賀からのお上りヤンキー、と紀平さんは評していたが、確かに赤のスニーカーと淡色のジージャンが全く似合っていない。鼻につく下手くそな歌(呼気が多い)は、アルコールを吸い込んだ大脳にジンジンと響いてきた。あんなん聞いてられへん、手拍子なんかすんの腹立つやろ、裏で酒でも飲もや、紀平さんはそう言っては頻繁に僕をバックヤードに連れ出しささやかな酒盛りに興じた。紀平さんは、古いリキュールを瓶からそのまま飲み、ケケケと笑い、耳元のピアスを女性的に揺らしていた。紀平さんのピアスの穴は拡大しきって、もはや僕の小指ぐらいなら通りそうだ。



ガールズバー「L」では、紀平さんと僕以外に正規のアルバイトはいない。人手が足りないときは、系列店にヘルプの人員を頼むか、オーナーが重い腰をあげて来るかのどちらかだった。オーナーが来ないときは、系列のキャバクラやセクキャバから応援が来た。セクキャバは盛り上げやらなんやらで、意外に多くの人員が必要らしかったから、大抵の場合は上の階のキャバクラ「Z」から下っ端が遣わされた。それは黒服だけではなくてキャストも例外ではなかった。

ガールズバーやキャバクラ、セクキャバと言っても、対面に座るか乳を触らせるかどうかでさして業務に違いはない。女たちも、荒み方に若干の差異はあるものの、ほとんど同じような顔をしていて、バックヤードではディズニーツムツムに必死だった。キャスト同士の仲はあってないようなものだった。一線を引いて、お互い知らなくていいことはたくさんある。そんななかでも僕らには、みな気を遣わずにペラペラと、あるいは適当に喋った。理由は簡単で、僕らが女ではないからだ。



「しゅうくん、京大なんやろ? なんでこんなところでバイトしてるん」


最初に話しかけてきた“ユリさん“は、僕より五つほど歳上で、ガールズバー「L」でも古参だった。150センチぐらい、小柄で、病的に華奢、胸元をざっくり開けたペラペラのドレス、毎日のように出勤し、破滅的に酔った。紀平さんからは「ユリのドリンクは全部薄めにしといて」とも言われた。それでも勝手にバックヤードの焼酎をごくごくとの飲み、実費で給料から引かれては、クローズ後には手がつけられないほど暴れ回った。

「これ咥えてや! なあ!」と鞄からディルドを持ち出しては、僕をソファに投げ飛ばして、悪魔のように笑い続けた。僕は草か薬を疑ったが、紀平さん曰く、「ユリにそんな根性はない」「あいつももう29や。嫌なこともあるやろ」。

そんなユリさんに唯一懐いていたのは、トモカさんだった。身長は高く、肉付きも良いが、いかんせん目が腫れぼったくて、田舎っぽい。それでも彼女が人気だったのは、Hカップの豊満な胸(外にキャッチに出るときは、胸の谷間に、タバコの箱を横にして入れていた)もあるが、それ以上に、愛嬌のある話し振りだった。客に媚びるでもない、誰にでもあけすけで正直者、元ヤンのトモカさんは誰もに好かれた。

ユリさんはトモカさんを甚く気に入り、クローズ後もよく飲みに出ていった。出勤終わりの時点で彼女らは相当に酔っていたが、二人で肩を組み、木屋町の喧騒に紛れた。それを見届けたあとで、僕は紀平さんと店で飲んだ。

「ユリ、大丈夫かな」

ーーユリさん、今日も元気そうでしたけど。

「いや、突然辞めて、風とかに流れへんかなって心配で。結構借金あるらしいねん。断れへん性格やし、ジュリアとかのも結構こうたってるらしいわ」

ジュリアさんはあの手この手で食器用洗剤や歯ブラシを勧めてくる。僕は学生だから断れたが、他のキャストも迷惑していた。

「ま、トモカがおるうちは辞めへんとは思うけどさ」

数ヶ月後、ジュリアさんが店を辞めた。他にも二人ほど辞めた。体験で入った子たちも、みな次の週には来なくなった。


いよいよユリさん、トモカさんの負担は大きくなった。僕はユリさんの卓に着くことが多くなった。ユリさんが飲みきれなかった酒を、代わりに飲むためだ。安いシャンパン、芋の瓶を入れてもらっては「大好き〜ありがとう〇〇さん!」。途中でユリさんはトイレから出て来なくなり、僕はおっさんとしみじみ芋を飲んだ。「なんか歌いや」と言われると、僕はよくクリスタルキングの『大都会』を歌った。おっさんはキーやテンポを上げて、おたおたする僕を見、手を叩いて喜んだ。トイレから出てきたかと思えば、ユリさんは紀平さんや客に説教を食らっていた。そしてまた酒を飲み、トイレに帰っていった。

トモカさんは酒に強かったから、クローズまで酒焼けした声が店中に響いていた。店が終わると、トモカさんはユリさんの肩を抱いて帰っていった。


バイトが休みであっても、僕が足を運ぶ場所は結局鬱蒼とした繁華街だった。

三条通りのローソンで鏡月を買って、河岸のベンチに座って友人と回し飲み。そこそこに酒が入ると、ナンパに精を出した。酒を入れると、自分の街のように思える、それが狭くチンケな京都の魅力だ。それだけで色んなことを忘れられる気がした。もっとも、どれだけ酔ったとしても、朝方の帰り道には思い出してしまうのはわかっていた。ともかく、中学、高校と不良少年になりきれなかった僕は、不良青年になりたかったのだ。

クラブで女に声をかけ、町で女に声をかけ、安い居酒屋で語り明かし、女がおもしろくなければホテルか家へ、女がおもしろければ鴨川沿いに行った。女が釣れない場合も、結局鴨川沿いに行き着いた。第一、涼しい。あまりに暑ければ、川に入ればいい。

八月、朝の強い日差しに照り返す鴨川を見ていると、自分がどんどんと世間から引き剥がされる思いになる。橋の上には、会社員や学生が寝ぼけた顔で行進する。僕らは、すっかりぬるくなった缶チューハイをすすりながら、上裸で、河岸に体を横たえていた。蝉の鳴き声と日の眩しさが、自分が社会からはみ出していることを再認識させてくれる。橋の上を闊歩するでもない、ただそれを見て寝そべっているーー自分。



え? しゅうくん? なにしてるん?


後ろから来たのは、ユリさんとトモカさんだった。手には、鏡月の瓶、それとクラブで貰える、光るビニール棒を持っている。「それ、返さなあかんやつでしょ」と僕が言うと、「ええねん」とユリさんは返した。

「あそぼや、うちら今日も休みやし。カラオケいこ、カラオケ」

ーーもういいですて、帰って寝ますてえ。

「一時間だけ、おねがい」

ーーここでうとたらええですやん、一緒に歌いますから。

ここでぇ? と笑った顔に八重歯がのぞいた。僕の提案にユリさんは機嫌よくスマホをいじり、石畳の上にそっと載せて、立ち上がった。聞き覚えのあるイントロだった。



僕達は幸せになるため

この旅路を行く

誰も皆癒えぬ傷を連れた

旅人なんだろう

ほら笑顔がとても似合う



ユリさんは澄んだ裏声で歌った。首を揺らしながら、たおやかな咳払いに、涙が出そうなくらい胸が苦しくなった。店で客にせがまれて歌うときとはうってかわって、ユリさんは落ち着いて、一音一音を慈しむように声を出した。かつて嫌になるほど巷で流れていたはずの、浜崎あゆみの“voyage”は、今となっては郷愁を呼び起こし、十代のころを思い出した。あんな恋やこんな恋。あんな悪い奴やこんな良い奴。二人にも、そんな過去があるのだろう。誰にだって自分の物語がある。

ユリさんの隣、トモカさんは綿棒ほど細いタバコに火をつけ鏡月を瓶のまま豪快に飲んでいた。「なぁ見てみて、エロい?」。舌ピアスをカラカラと鏡月の口に当てて遊んで、トモカさんは上目遣いでこちらを見た。

ーー全然エロくないっすよ。

「え、せっかくヤらせてあげよかおもてたのに」

僕は返事をしなかった。

「なにだまってるん! 照れてんのかぁ、このガリ勉」

トモカさんは大きな手で僕の下顎を掴んで、左右にガシガシと揺らした。

すると「しゅーくんも歌うっていったやんか!」とユリさんは僕に馬乗りになって、ビニール棒で僕の頭を思い切り、何度も叩いた。二人とも、川の向こう岸に届くぐらいの大声で笑っていた。



次の月に、トモカさんは未成年なのがバレて店をクビになった。ユリさんはしばらく仕事を続けたが、大阪の店に移るだとかで、結局辞めた。難波のセクキャバだと噂で聞いた。紀平さんも、しばらくして飛んだ。



僕は未だ京都にいる。だから、今でも朝方には鴨川の反射光に目を細め、手で日を遮り、三条大橋を渡る人々を眺める。河岸には酔い、歌う人々がいる。彼らを見て、もう会わなくなった夜の蝶々たちを思い出す。たくましく、健やかで、妖しい鱗粉を撒き散らしながら、それでも次の瞬間には堕ちてしまいそうなーー女たち。誰だって旅人だ。幸せになるため、旅路を行く。






 
 
 

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